ダニエル9章15~19節、詩篇122篇、ヤコブ4章1~10節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ダニエル 9:15 わたしたちの神である主よ、強い御手をもって民をエジプトから導き出し、今日に至る名声を得られた神よ、わたしたちは罪を犯し、逆らいました。
 9:16 主よ、常に変わらぬ恵みの御業をもってあなたの都、聖なる山エルサレムからあなたの怒りと憤りを翻してください。わたしたちの罪と父祖の悪行のために、エルサレムもあなたの民も、近隣の民すべてから嘲られています。
 9:17 わたしたちの神よ、僕の祈りと嘆願に耳を傾けて、荒廃した聖所に主御自身のために御顔の光を輝かしてください。
 9:18 神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、わたしたちの荒廃と、御名をもって呼ばれる都の荒廃とを御覧ください。わたしたちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます。
 9:19 主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。主よ、耳を傾けて、お計らいください。わたしの神よ、御自身のために、救いを遅らせないでください。あなたの都、あなたの民は、御名をもって呼ばれているのですから。」

詩篇 122:1  都に上る歌。ダビデの詩。 主の家に行こう、と人々が言ったとき わたしはうれしかった。
 122:2 エルサレムよ、あなたの城門の中に わたしたちの足は立っている。
 122:3 エルサレム、都として建てられた町。そこに、すべては結び合い
 122:4 そこに、すべての部族、主の部族は上って来る。主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め。
 122:5 そこにこそ、裁きの王座が ダビデの家の王座が据えられている。
 122:6 エルサレムの平和を求めよう。「あなたを愛する人々に平安があるように。
 122:7 あなたの城壁のうちに平和があるように。あなたの城郭のうちに平安があるように。」
 122:8 わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。「あなたのうちに平和があるように。」
 122:9 わたしは願おう わたしたちの神、主の家のために。「あなたに幸いがあるように。」

ヤコブ 4:1 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。
 4:2 あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、
 4:3 願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。
 4:4 神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。
 4:5 それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、
 4:6 もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」
 4:7 だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。
 4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。
 4:9 悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。
 4:10 主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。

 

 

人間というのは、なんとも哀れな生き物であり、自分より優れた人や豊かな人、祝福されている人を妬み、恨み、奪おうとし、時にはそれが争いや戦いにまで発展してしまう。

人間同士が殺し合う戦争なども、その最たる愚かな行為であると言えよう。

しかし、かりにそんなことを続けていって自分が豊かになったとしても、今度は自分自身が妬まれるだけで、争いや戦いがこの世界から消えることはないのだろう。

なんとも愚かな人の世である。

主なる神様は、このような人の世に生きる愚かな私たちであるにも関わらず、その豊かな愛と恵とによって人を救い、生かそうと願っておられる。

人間が少しでもそのことを理解しようとするならば、きっと、少しは幸いな世界に変っていくのかもしれない。

罪の性質を持つ人間には難しいことかもしれないが、神の御心を求めてそれに従って生きていくことで得られる幸いな世界はあると思う。

私たちも、そのためにできる戦いはあるだろう。

自分自身のうちにある罪の性質と、向き合い、これに対し、人間では不可能なことを神が成し遂げて下さったことを覚えつつ、戦うべき相手を間違わずに、しっかりと戦っていきたいものである。