歴代誌下8章12~15節、詩篇103篇1~8節、使徒17章1~9節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

歴代誌下 8:12 そのころソロモンは、前廊の前に築いた主の祭壇の上で、焼き尽くす献げ物を主にささげた。
 8:13 安息日、新月祭、および、年に三度の祝祭日、除酵祭、七週祭、仮庵祭に関してモーセが命じたように、日ごとの定めに従って献げ物をささげた。
 8:14 更に彼は、父ダビデの授けた規定に従って、祭司たちを組に分けてその任務に就かせ、またレビ人たちをその任務に就かせて、日ごとの定めに従って祭司の傍らで賛美し奉仕させ、門衛たちもその組によってそれぞれその門に立たせた。神の人ダビデがそのように命じていたからである。
 8:15 王が祭司とレビ人について命じたことは、宝物庫のことも含め、何事もおろそかにされなかった。

詩篇 103:1  ダビデの詩。 わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって 聖なる御名をたたえよ。
 103:2 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
 103:3 主はお前の罪をことごとく赦し 病をすべて癒し
 103:4 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け
 103:5 長らえる限り良いものに満ち足らせ 鷲のような若さを新たにしてくださる。
 103:6 主はすべて虐げられている人のために 恵みの御業と裁きを行われる。
 103:7 主は御自分の道をモーセに 御業をイスラエルの子らに示された。
 103:8 主は憐れみ深く、恵みに富み 忍耐強く、慈しみは大きい。

使徒 17:1 パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。
 17:2 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、
 17:3 「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。
 17:4 それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。
 17:5 しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。
 17:6 しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。
 17:7 ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」
 17:8 これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。
 17:9 当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。

 

 

 

ソロモンは、モーセが律法で命じていた通りに、定められた祝祭を守り、父ダビデが命じた通り、祭司やレビ人たちをその任務に就かせ、神殿における礼拝を充実させていったことが記されている。

もちろんそれは、モーセの言葉やダビデの言葉に従ったのではなく、モーセやダビデに命じられた神の言葉に従ったものである。

けれど、人はなかなかそのように受け止めないし、ソロモン自身も、モーセやダビデの言葉として尊重していたのかもしれない。

大切なのは、神が語られた事あであるかどうかであり、そして、それを尊重し、守り、従って行くことである。

どんなに優れた教えや行いも、それが人間の言葉であるならば、そこに永遠性は存在しない。

たとえ真実に近いものであったとしても、それが人間から出た言葉であるならば、所詮、人間的な知恵により、人間的な幸福をもたらすために語られたものであり、どこかで罪によるねじれが生じているのだろう。

 

2コリント3:6 神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
3:7 ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、
3:8 霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。

 

主なる神様の言葉は、人を救い、人を生かすために語られている。

なんとも幸いなことであり、私たちはこの神の言葉によって生きているのである。