コヘレト6章1~6節、詩篇33篇12~22節、使徒7章1~8節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

コヘレト 6:1 太陽の下に、次のような不幸があって、人間を大きく支配しているのをわたしは見た。
 6:2 ある人に神は富、財宝、名誉を与え、この人の望むところは何ひとつ欠けていなかった。しかし神は、彼がそれを自ら享受することを許されなかったので、他人がそれを得ることになった。これまた空しく、大いに不幸なことだ。
 6:3 人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。しかし、長生きしながら、財産に満足もせず 死んで葬儀もしてもらえなかったなら 流産の子の方が好運だとわたしは言おう。
 6:4 その子は空しく生まれ、闇の中に去り その名は闇に隠される。
 6:5 太陽の光を見ることも知ることもない。しかし、その子の方が安らかだ。
 6:6 たとえ、千年の長寿を二度繰り返したとしても、幸福でなかったなら、何になろう。すべてのものは同じひとつの所に行くのだから。

詩篇 33:12 いかに幸いなことか 主を神とする国 主が嗣業として選ばれた民は。
 33:13 主は天から見渡し 人の子らをひとりひとり御覧になり
 33:14 御座を置かれた所から 地に住むすべての人に目を留められる。
 33:15 人の心をすべて造られた主は 彼らの業をことごとく見分けられる。
 33:16 王の勝利は兵の数によらず 勇士を救うのも力の強さではない。
 33:17 馬は勝利をもたらすものとはならず 兵の数によって救われるのでもない。
 33:18 見よ、主は御目を注がれる 主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。
 33:19 彼らの魂を死から救い 飢えから救い、命を得させてくださる。
 33:20 我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。
 33:21 我らの心は喜び 聖なる御名に依り頼む。
 33:22 主よ、あなたの慈しみが 我らの上にあるように 主を待ち望む我らの上に。

使徒 7:1 大祭司が、「訴えのとおりか」と尋ねた。
 7:2 そこで、ステファノは言った。「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、
 7:3 『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。
 7:4 それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、
 7:5 そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです。
 7:6 神はこう言われました。『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』
 7:7 更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』
 7:8 そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。

 

 

 

多くの人は、長年働いて稼いだお金を用い、自分の住む家や土地を持ち、富を蓄え、何不自由なく過ごせる老後の生活を迎えようとする。

しかし、その頃には、気力も体力も衰え、楽しいと思えることも少なくなり、漠然と時間を過ごすだけの人生となってしまう。

一方、これから新しい家庭を持ち、子供を産み育てていこうかといった年代を迎えている若い世代の人たちは、お金は少なくても、人生に対して、いろいろと夢や希望を持ち、これからどんな幸いな人生を送れるだろうかとワクワクしていることであろう。

どちらが幸いであろうか。

まちがいなく、後者の若い世代の人たちであろう。

つまり、人生が幸いであるかどうかというのは、単に多くの富や財産を持っているかどうかによるとは限らないということである。

もちろん、富や財産が無いよりは少しはあった方が良い。

けれど、これから始まる人生に夢や希望を持てることや、いろいろなことを期待できることこそが何より幸いであるということであろう。

そういう意味では、信仰に生きるということは幸いなことと言えるだろう。

 

ヘブル 11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

 

何も期待できない人生ではなく、まだ見ぬ幸いな神の国の祝福を期待する人生を送りたいものである。