エステル記6章1節~7章6節、詩篇55篇17~24節、ローマ9章30節~10章4節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エステル記 6:1 その夜、王は眠れないので、宮廷日誌を持って来させ、読み上げさせた。
 6:2 そこには、王の私室の番人である二人の宦官、ビグタンとテレシュが王を倒そうと謀り、これをモルデカイが知らせたという記録があった。
 6:3 そこで王は言った。「このために、どのような栄誉と称賛をモルデカイは受けたのか。」そばに仕える侍従たちは答えた。「何も受けませんでした。」
 6:4 王は言った。「庭に誰がいるのか。」ハマンが王宮の外庭に来ていた。準備した柱にモルデカイをつるすことを、王に進言するためである。
 6:5 侍従たちが、「ハマンが庭に来ています」と言うと、王は、「ここへ通せ」と言った。
 6:6 ハマンが進み出ると、王は、「王が栄誉を与えることを望む者には、何をすればよいのだろうか」と尋ねた。ハマンは、王が栄誉を与えることを望む者は自分以外にあるまいと心に思ったので、
 6:7 王にこう言った。「王が栄誉を与えることをお望みでしたら、
 6:8 王のお召しになる服を持って来させ、お乗りになる馬、頭に王冠を着けた馬を引いて来させるとよいでしょう。
 6:9 それを貴族で、王の高官である者にゆだね、栄誉を与えることをお望みになる人にその服を着けさせ、都の広場でその人を馬に乗せ、その前で、『王が栄誉を与えることを望む者には、このようなことがなされる』と、触れさせられてはいかがでしょうか。」
 6:10 王はそこでハマンに言った。「それでは早速、わたしの着物と馬を取り、王宮の門に座っているユダヤ人モルデカイに、お前が今言ったとおりにしなさい。お前が今言ったことは何一つおろそかにしてはならない。」
 6:11 ハマンは王の服と馬を受け取り、その服をモルデカイに着せ、都の広場で彼を王の馬に乗せ、その前で、「王が栄誉を与えることを望む者には、このようなことがなされる」と、触れ回った。
 6:12 モルデカイは王宮の門に戻ったが、ハマンは悲しく頭を覆いながら家路を急いだ。
 6:13 彼は一部始終を妻ゼレシュと親しい友達とに話した。そのうちの知恵ある者もゼレシュも彼に言った。「モルデカイはユダヤ人の血筋の者で、その前で落ち目になりだしたら、あなたにはもう勝ち目はなく、あなたはその前でただ落ちぶれるだけです。」
 6:14 彼らがこう言っているところへ、王の宦官たちがやって来て、エステルの催す酒宴に出るよう、ハマンをせきたてた。
 7:1 王とハマンは、王妃エステルの酒宴にやって来た。
 7:2 この二日目の日も同様に、ぶどう酒を飲みながら王は言った。「王妃エステルよ、何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」
 7:3 「王よ、もしお心に適いますなら」と王妃エステルは答えた。「もし特別な御配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いを聞いていただけますならば、私のために私の命と私の民族の命をお助けいただきとうございます。
 7:4 私と私の民族は取り引きされ、滅ぼされ、殺され、絶滅させられそうになっているのでございます。私どもが、男も女も、奴隷として売られるだけなら、王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙ってもおりましょう。」
 7:5 クセルクセス王は王妃エステルに、「一体、誰がそのようなことをたくらんでいるのか、その者はどこにいるのか」と尋ねた。
 7:6 エステルは答えた。「その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます。」ハマンは王と王妃の前で恐れおののいた。

詩篇 55:17 わたしは神を呼ぶ。主はわたしを救ってくださる。
 55:18 夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。神はわたしの声を聞いてくださる。
 55:19 闘いを挑む多くの者のただ中から わたしの魂を贖い出し、平和に守ってくださる。
 55:20 神はわたしの声を聞き、彼らを低くされる。神はいにしえからいまし 変わることはない。その神を畏れることなく
 55:21 彼らは自分の仲間に手を下し、契約を汚す。
 55:22 口は脂肪よりも滑らかに語るが 心には闘いの思いを抱き 言葉は香油よりも優しいが、抜き身の剣に等しい。
 55:23 あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる。
 55:24 神よ、あなた御自身で 滅びの穴に追い落としてください 欺く者、流血の罪を犯す者を。彼らが人生の半ばにも達しませんように。わたしはあなたに依り頼みます。

ローマ 9:30 では、どういうことになるのか。義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。
 9:31 しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。
 9:32 なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです。
 9:33 「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は、失望することがない」と書いてあるとおりです。
 10:1 兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。
 10:2 わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。
 10:3 なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。
 10:4 キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。

 

 

 

神の救いの約束は、最初にイスラエルの民に語られたものの、その理由は、全ての民族に神の救いの約束を宣べ伝えていくためであった。

イスラエルの民が律法の言葉に忠実であったのも、そうした目的のために用いられるために神が与えられた賜物であったと言えるだろう。

しかし、当のイスラエルは、自分たちだけが神に選ばれた民族であると勘違いし、他の民族の祝福のことなど考えようとしないのであろうか、そういった思いが、現在のガザにおける戦争を長引かせている一因ではないかと思われる。

神の国は、人間の行いや、力わざによって作りだしていくようなものではない。

ましてや、戦争によって多くの人々を殺し、建物を破壊しつくし、そこに新たなイスラエル国家を建て上げていくようなものであろうはずがない。

人間的な力わざによっては、そこに神の国が訪れるはずはなく、それは文字通り「人間の国」でしかない。

人間が人間を平気で殺し、人間に都合の良い国を建て上げたところで、そんなものはバベルの塔かソドムの町のごとく、やがて破滅するだけであろう。

主なる神様は、御自分の御子イエス様の命を捧げてまで、人を救おうとされ、もはや永遠に嘆き悲しむようなことのない神の国を備えて下さり、私たちをそこへ招いいて下さる。

そこには、神の愛と恵みがあり、私たちにあるのは喜びと平安である。

どうか、そのような神の国をこそ、人々が求めていくようにと、切に祈り求めるばかりである。