創世記41章37~49節、詩篇25篇1~10節、使徒7章9~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 41:37 ファラオと家来たちは皆、ヨセフの言葉に感心した。
 41:38 ファラオは家来たちに、「このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか」と言い、
 41:39 ヨセフの方を向いてファラオは言った。「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう。
 41:40 お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。」
 41:41 ファラオはヨセフに向かって、「見よ、わたしは今、お前をエジプト全国の上に立てる」と言い、
 41:42 印章のついた指輪を自分の指からはずしてヨセフの指にはめ、亜麻布の衣服を着せ、金の首飾りをヨセフの首にかけた。
 41:43 ヨセフを王の第二の車に乗せると、人々はヨセフの前で、「アブレク(敬礼)」と叫んだ。ファラオはこうして、ヨセフをエジプト全国の上に立て、
 41:44 ヨセフに言った。「わたしはファラオである。お前の許しなしには、このエジプト全国で、だれも、手足を上げてはならない。」
 41:45 ファラオは更に、ヨセフにツァフェナト・パネアという名を与え、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトを妻として与えた。ヨセフの威光はこうして、エジプトの国にあまねく及んだ。
 41:46 ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立ったとき三十歳であった。ヨセフはファラオの前をたって、エジプト全国を巡回した。
 41:47 豊作の七年の間、大地は豊かな実りに満ち溢れた。
 41:48 ヨセフはその七年の間に、エジプトの国中の食糧をできるかぎり集め、その食糧を町々に蓄えさせた。町の周囲の畑にできた食糧を、その町の中に蓄えさせたのである。
 41:49 ヨセフは、海辺の砂ほども多くの穀物を蓄え、ついに量りきれなくなったので、量るのをやめた。

詩篇 25:1  ダビデの詩。 主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み
 25:2 わたしの神よ、あなたに依り頼みます。どうか、わたしが恥を受けることのないように 敵が誇ることのないようにしてください。
 25:3 あなたに望みをおく者はだれも 決して恥を受けることはありません。いたずらに人を欺く者が恥を受けるのです。
 25:4 主よ、あなたの道をわたしに示し あなたに従う道を教えてください。
 25:5 あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。
 25:6 主よ思い起こしてください あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
 25:7 わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず 慈しみ深く、御恵みのために 主よ、わたしを御心に留めてください。
 25:8 主は恵み深く正しくいまし 罪人に道を示してくださいます。
 25:9 裁きをして貧しい人を導き 主の道を貧しい人に教えてくださいます。
 25:10 その契約と定めを守る人にとって 主の道はすべて、慈しみとまこと。

使徒 7:9 この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、
 7:10 あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。
 7:11 ところが、エジプトとカナンの全土に飢饉が起こり、大きな苦難が襲い、わたしたちの先祖は食糧を手に入れることができなくなりました。
 7:12 ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まずわたしたちの先祖をそこへ行かせました。
 7:13 二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分の身の上を明かし、ファラオもヨセフの一族のことを知りました。
 7:14 そこで、ヨセフは人を遣わして、父ヤコブと七十五人の親族一同を呼び寄せました。
 7:15 ヤコブはエジプトに下って行き、やがて彼もわたしたちの先祖も死んで、
 7:16 シケムに移され、かつてアブラハムがシケムでハモルの子らから、幾らかの金で買っておいた墓に葬られました。

 

 

 

エジプトに売られたヨセフは、エジプトで王に次ぐ大臣の地位につき、その後に世界を襲う大飢饉からエジプトの人々や周辺の国々の民を救う事になるのである。

ヨセフは、とりたてて知恵や能力に富んでいたというわけではなく、ただ、神がヨセフを選び、ヨセフは自分を選んで下さった神を見上げ、従順に従っていただけである。

人は誰も「自分には知恵がある」と考えているし、自分が思う事や考えていることが正しいと思い込んで行動してしまう。

それは、言い換えれば、自分を神としているようなものであろう。

誰も他人の忠告など聞こうとしないし、自分で考え、自分の思う通りに生きようとするのであるが、そこには必ず己の欲望やよこしまな思いが働いていることに気が付いていないのである。

ヨセフはどうであっただろう。

もちろん、一人の人間には変わりないから、欠点もあっただろうし、過ちを犯すこともあっただろう。

しかし、彼は神のなされることに自分の身を委ねていったし、神から示されたことに対し、忠実に従っていったゆえに、エジプトで人々を救う働きに用いられていった、ということなのだろう。

なにも、歴史に名を残すような大きな事業をしなくてもいい。

小さなことでいい。

主なる神様が私たちを用いて、誰か一人でも救いへと導くこと、喜んでもらえること、助けとなること、良きことがあるのなら、そこに遣わして頂きたいし、従順に従っていきたいものである。