サムエル記下6章1~15節 詩篇118篇1~2,14~24節 ルカ24章1~12節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル記下 6:1 ダビデは更にイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。
 6:2 ダビデは彼に従うすべての兵士と共にバアレ・ユダから出発した。それは、ケルビムの上に座す万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱をそこから運び上げるためであった。
 6:3 彼らは神の箱を新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子ウザとアフヨがその新しい車を御していた。
 6:4 彼らは丘の上のアビナダブの家から神の箱を載せた車を運び出し、アフヨは箱の前を進んだ。
 6:5 ダビデとイスラエルの家は皆、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。
 6:6 一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえた。
 6:7 ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに神はその場で彼を打たれた。ウザは神の箱の傍らで死んだ。
 6:8 ダビデも怒った。主がウザを打ち砕かれたためである。その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼んで今日に至っている。
 6:9 その日、ダビデは主を恐れ、「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と言って、
 6:10 ダビデの町、自分のもとに主の箱を移すことを望まなかった。ダビデは箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。
 6:11 三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった。主はオベド・エドムとその家の者一同を祝福された。
 6:12 神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった。王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた。
 6:13 主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた。
 6:14 主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。
 6:15 ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。

 

詩篇 118:1 恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
 118:2 イスラエルは言え。慈しみはとこしえに。

 118:14 主はわたしの砦、わたしの歌。主はわたしの救いとなってくださった。
 118:15 御救いを喜び歌う声が主に従う人の天幕に響く。主の右の手は御力を示す。
 118:16 主の右の手は高く上がり 主の右の手は御力を示す。
 118:17 死ぬことなく、生き長らえて 主の御業を語り伝えよう。
 118:18 主はわたしを厳しく懲らしめられたが 死に渡すことはなさらなかった。
 118:19 正義の城門を開け わたしは入って主に感謝しよう。
 118:20 これは主の城門 主に従う人々はここを入る。
 118:21 わたしはあなたに感謝をささげる あなたは答え、救いを与えてくださった。
 118:22 家を建てる者の退けた石が 隅の親石となった。
 118:23 これは主の御業 わたしたちの目には驚くべきこと。
 118:24 今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。

 

ルカ 24:1 そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。
 24:2 見ると、石が墓のわきに転がしてあり、
 24:3 中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。
 24:4 そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。
 24:5 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。
 24:6 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
 24:7 人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」
 24:8 そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。
 24:9 そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。
 24:10 それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
 24:11 使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。
 24:12 しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。

 

 

 

 

十字架にかけられて殺されたイエス様の遺体は、安息日がせまっていたこともあり、まともな葬りの処置もせず、布にくるんだだけで墓穴に葬られていた。

そのことに心を痛めていた女性たちは、安息日が明けた日曜の朝、イエス様の遺体が葬られた墓穴へ行ったところ、そこにはすでにイエス様はおられず、天使から「「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」との言葉を聞くのである。

人が死ねば、墓に葬られ、死者の集う世界へ行くと考える。

しかし、イエス様はそこにはおられない。

イエス様は死を打ち破り、よみがえられ、死者の世界ではなく、命の世界、しかも永遠に滅びることのない命の世界に生きておられるのである。

そして、イエス様が私たちのために十字架で死なれ、全ての罪を贖って下さったことを信じる者には、イエス様と同じ永遠の命が与えられると約束されている。

つまり、私たちも、死の支配する世界から解放されて、永遠の命が与えられる新たな世界へと招き入れて頂けるのである。

それゆえ、主イエス様を信じる者にとっては、もはや死は単なる終わりではなく、新たなステージへの旅立ちとなる。

痛み、苦しみ、悲しみだけが支配する死は、希望と喜びすら覚えることのできるものへと変えられるのだ。

なんと幸いなことであろう。

だから、主イエス様の復活をお祝いするイースターは、喜ばしい日と言えるのである。