ルカ 12:1 とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。
12:2 覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。
12:3 だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
イエス様はファリサイ派の人たちの行動を偽善と言って批判している。
それは、表に現れている行動と思っていることとが異なっているという意味であろう。
心で思うことと、行動が一致し、なおかつそれが善であるためには、心に思うこともすべて善でなければならない。
それが私たちにできるのだろうか。
おそらくそんな人間は一人もいないだろう。
しかし、イエス様は違う。
思いと行いとが完全に一致し、人を愛し、人を救いたいという思いが、そのまま十字架の御業において実現している。
2コリント1:18 神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。
1:19 わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。
1:20 神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。
私たちの偽りに満ちた人生や償いきれない罪の数々など、イエス様はすべてを背負って、私たちの代わりに十字架で死んでくださった。
ここに真実な義がある。
偽りの善ではない、真の義。
偽りに満ちた日々を送る私たちではあるが、せめて、この方を見上げるまなざしだけは真実なものでありたいものである。