ルカ 8:4 大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。
8:5 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
8:6 ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。
8:7 ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。
8:8 また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。
8:9 弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。
8:10 イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである。」
イエス様は、しばしばたとえを用いて神の国の奥義について語られている。
その理由について、「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである。」と述べておられる。
たとえを通して奥義が語られるが、それは、聞く耳のある人には理解できても、聞く耳のない人には理解できないようにするためと言う。
つまり、救いを求めている人には、そのたとえの意図していることがわかるが、そうでない人には、何の意味かわからなくなるためであるという事であろう。
イエス様の語られるたとえには、難しい内容のものはほとんどなく、誰もが理解しやすい内容のものとなっている。
それだけに、知恵に富む者や地位の高い人たちにとっては、ばかばかしい話にしか見えなかったのかもしれない。
神の国の奥義は、そう難しいものではないが、受け止める人間の心の在り方こそが難しい問題なのであろう。
神の国の奥義のみならず、人が話す言葉にも、聞く側に素直に応じる心がなければ、何を聞いても聞こえてはいない。
聞く耳を持とう。まずはそれからである。