ローマ13章8~14節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ローマ 13:8 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。
13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。
13:10 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。
13:11 更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。
13:12 夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。
13:13 日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、
13:14 主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。

先日、ある方がある人間関係の中において「貸しはあっても、借りはない」と話しておられた。
なかなか言えることではないが、それができれば、本当に素晴らしいことだと思う。
そもそも「借りる」ということは、持っていないか、足りないか、あるいは、本来、自分の手に負えない範囲のことにまで手を出すことであることを覚えておく必要があるのかもしれない。
今朝の新聞広告に、新車購入のためのローン金利3.5パーセントとあったが、手元にお金がなくても、借金をすれば、いとも簡単に車が手に入る。
もちろん、借りた金は返さなければならないが、果たして、そこまでして手に入れべきものなのかと考えた時、本当に必要なことと、無理をしてまで手にする必要のないものと、きちんと見分けていかなければ、後々、たいへんなことになってしまう。
人との関係においても「借り」ばかりだと、やがてそのような関係は破たんしてしまうだろう。
「貸し」なかりも良くないが、少なくとも「借り」よりは良いのかもしれない。
欲望にかられて、周囲に借りばかりを積み上げていく人生を改め、分相応な暮らしと共に、互いに愛し合っていける生き方を模索していきたい。