列王記下15章17~38節 | 聖書日課 デボーションノート

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聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記下 15:17 ユダの王アザルヤの治世第三十九年に、ガディの子メナヘムがイスラエルの王となり、サマリアで十年間王位にあった。
15:18 彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を一生離れなかった。
15:19 アッシリアの王プルがその地に攻めて来たとき、メナヘムは銀一千キカルをプルに貢いだ。それは彼の助けを得て自分の国を強化するためであった。
15:20 メナヘムはアッシリアの王に銀を貢ぐため、イスラエルのすべての有力者に各人銀五十シェケルずつ出させた。アッシリアの王はこの地にとどまらずに引き揚げた。
15:21 メナヘムの他の事績、彼の行ったすべての事は、『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
15:22 メナヘムは先祖と共に眠りにつき、その子ペカフヤがメナヘムに代わって王となった。
15:23 ユダの王アザルヤの治世第五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリアでイスラエルの王となり、二年間王位にあった。
15:24 彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった。
15:25 彼の侍従、レマルヤの子ペカが謀反を起こし、サマリアの宮殿の城郭で、五十人のギレアド人と組んで、アルゴブおよびアルイエと共にペカフヤを打ち殺した。こうしてペカが代わって王となった。
15:26 ペカフヤの他の事績、彼の行ったすべての事は、『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
15:27 ユダの王アザルヤの治世第五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリアでイスラエルの王となり、二十年間王位にあった。
15:28 彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった。
15:29 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが攻めて来て、イヨン、アベル・ベト・マアカ、ヤノア、ケデシュ、ハツォル、ギレアド、ガリラヤ、およびナフタリの全地方を占領し、その住民を捕囚としてアッシリアに連れ去った。
15:30 エラの子ホシェアはレマルヤの子ペカに対して謀反を起こし、彼を打ち殺し、代わって王位についた。それはウジヤの子ヨタムの治世第二十年のことであっ
15:31 ペカの他の事績、彼の行ったすべての事は、『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
15:32 イスラエルの王、レマルヤの子ペカの治世第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。
15:33 彼は二十五歳で王となり、十六年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエルシャといい、ツァドクの娘であった。
15:34 彼は、父ウジヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。
15:35 ただ聖なる高台は取り除かず、民は依然としてその聖なる高台でいけにえをささげ、香をたいていた。彼はまた主の神殿の上の門を建てた。
15:36 ヨタムの他の事績、彼の行った事は、『ユダの王の歴代誌』に記されている。
15:37 そのころから、主はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカをユダに差し向け、これを攻めさせられた。
15:38 ヨタムは先祖と共に眠りにつき、父祖ダビデの町に先祖と共に葬られた。その子アハズがヨタムに代わって王となった。

この頃になると、イスラエル亡国の危機が近づいていることが伺える記述が増えてくる。
アッシリヤの侵攻である。
当初、イスラエルの王メナヘムは、アッシリヤと同盟を結び、アッシリヤの助けを得て、国を守ろうと考えていたのであろう。
しかし、時を経て、次第にそれが裏目に出ていくことになる。
アッシリヤの王ティグラト・ピレセルの時代になると、もはや彼らは援軍ではなく、侵略者となり、イスラエルを攻め、これを支配し、多くの住民を捕虜として捕らえて行ってしまうのである。
おおよそ、メナヘムの時代にアッシリヤに贈った銀など、多くの財宝を見せたことがイスラエル侵攻の引き金になったのかもしれない。
もちろん、当時とは双方とも王が代わっているため、それが直接的な原因となったとは言えないかもしれないが、力のない者は、力のある者によって翻弄されていくということであろう。
歴史に「もし」はないため、どうすれば良かったかという議論はできないが、歴史から学ぶことはあるだろう。
我々はこのような記述から何を学ぶべきか。
まずは聖書のみ言葉が何を私たちに語りかけているのかということに耳を傾けていくことが大切であろう。
どうしたから、どうなったか、そういうことではないとも思うが、少なくとも、真の神を愛し、唯一の神のみに従っていく信仰を保っていくことを心掛けたいと思うばかりである。