ルカ22章7~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ルカ 22:7 過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。
22:8 イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。
22:9 二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、
22:10 イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、
22:11 家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』
22:12 すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」
22:13 二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
22:14 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。
22:15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。
22:16 言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」
22:17 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。
22:18 言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
22:19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

本日は聖木曜日、イエス様が十字架にかけられる前夜、弟子たちと共に過越しの食事を取られたことを覚える日である。
最後の晩餐としても知られる場面であるが、イエス様の生前の最後の食事であるということもさることながら、15~16節でイエス様が語られているように、神の国で過越しが成し遂げられるまでは、決してこの過越しの食事を取ることはないと仰せられたことにも大切な意味があると考えられる。
過越しとは、かつてイスラエルの民がエジプトを脱出する際、小羊の血を門に塗ったイスラエルの民だけが災いを過越していったことを記念するための祭りであり、つまりそれは、すべての災いが過ぎこされていくこと、すなわち、救いの完成を意味している。
だから、すべての救いが完成するまでイエス様が過越しの食事を取らないと言うことは、今後、神の国が完成する時まで、過越しのいけにえは必要ないという意味も込められているのではないだろうか。
イエス様の命の犠牲による救いは完全なもの。
もはや、何ら、贖いのためのいけにえの犠牲は必要ないのである。
これがイエス様が私たちに約束して下さった救いの確かな約束なのであろう。