ルカ 22:39 イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。
22:40 いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。
22:41 そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。
22:42 「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔
22:43 すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。
22:44 イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕
22:45 イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。
22:46 イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」
以前、神学校時代の同級生が我が家を訪ねてきたことがある。
当時(今も)寝室のすぐ横に書斎を設置していたところ、彼は「これでは誘惑が多くて仕事ができないのでは?」と言ってきた。
私は「朝目覚めてすぐに仕事に取り掛かれる」と考えていたので、人によって、ずいぶん捉え方があ違うのだなあと思ったものである。
ちなみに、書斎を寝室から話したところに独立したからと言って、誘惑を逃れることができるというものでもない。
近年、自分専用の勉強部屋にこもって勉強するより、リビングで子供たちに勉強させる親が増えていると言う。
そのほうが、かえって集中力を養うことができるのだとか。
イエス様は、いつもオリーブ山で祈っておられた。
エルサレムの町からは、ほんの目と鼻の先ほどのところにある。
確かに、祈るには最適の場所かもしれない。
けれど、弟子たちは誘惑に負けて、眠ってしまった。
誘惑に勝てるかどうかは、場所や環境が問題なのではない。心の問題なのだろう。
祈ることはいつでもできる。トイレでも信号待ちでも。
仕事中や人と会って話している時は難しいかもしれないが、少しだけ時間を取って祈ることなら、それもできるだろう。
誘惑に負けず、祈り続けて行くことのできる人でありたいと願う。