詩篇 63:1 賛歌。ダビデの詩。ダビデがユダの荒れ野にいたとき。
63:2 神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め わたしの魂はあなたを渇き求めます。あなたを待って、わたしのからだは 乾ききった大地のように衰え 水のない地のように渇き果てています。
63:3 今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み あなたの力と栄えを見ています。
63:4 あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます。
63:5 命のある限り、あなたをたたえ 手を高く上げ、御名によって祈ります。
63:6 わたしの魂は満ち足りました 乳と髄のもてなしを受けたように。わたしの唇は喜びの歌をうたい わたしの口は賛美の声をあげます。
63:7 床に就くときにも御名を唱え あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。
63:8 あなたは必ずわたしを助けてくださいます。あなたの翼の陰でわたしは喜び歌います。
63:9 わたしの魂はあなたに付き従い あなたは右の御手でわたしを支えてくださいます。
63:10 わたしの命を奪おうとする者は必ず滅ぼされ 陰府の深みに追いやられますように。
63:11 剣にかかり、山犬の餌食となりますように。
63:12 神によって、王は喜び祝い 誓いを立てた者は誇りますように。偽って語る口は、必ず閉ざされますように。
多くの人が自分の魂が飢え乾いていることに気が付いていない。
様々な事柄に心を奪われ、欲望と名声などを追い求め、満たされること、認められることなどを必死に追求し、それによって、自分は生きていると思うのだろう。
しかし、私たちの命がどなたによって与えられ、支えられ、愛されているかということを知った時、かつてのような満たされることや認められることを追求するような生き方を求めなくても良いことに気付くのだ。
主の慈しみは命にも勝る。
まさにその通りであり、主の慈しみがあるからこそ、私たちは生きていられることを知った時、そこから本当の幸いな人生が始まるし、本当の意味で満たされ、存在が認められている幸いを覚えることができるのだ。
このクリスマス、一人でも多くの方がそのことに気が付いてほしいと願う。