ヤコブ1:1 神と主イエス・キリストの僕であるヤコブが、離散している十二部族の人たちに挨拶いたします。
1:2 わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。
1:3 信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。
1:4 あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。
1:5 あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。
1:6 いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。
1:7 そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。
1:8 心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。
1:9 貧しい兄弟は、自分が高められることを誇りに思いなさい。
1:10 また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。
1:11 日が昇り熱風が吹きつけると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまいます。同じように、富んでいる者も、人生の半ばで消えうせるのです。
ヤコブの手紙に記されている事柄は、やや厳しい内容のものが多く感じられる。
ここでも、試練に出会うときは、この上ない喜びと思え、と記されている。
誰も、試練にあうことを喜びと感じる者などいない。
しかしだからこそ、そのような時こそ、喜んでいられる者となるように勧められているのだろう。
試練の時だからこそ、神に祈り求めるようになるし、祈っても祈っても状況が改善されないと、祈ることをあきらめたり、神に向かってつぶやいたりしてしまうことのないよう、祈り続けることが試されていく。
そう考えると、確かに試練の時こそ、信仰が強められるチャンスなのかもしれない。
逆に、試練のない時とは、何もかも上手く行っているなら、人は神を頼らないし、祈りもしない。
全て自分の力だけで生きていこうとするだろう。
神を必要としない生き方は、それはそれで強く祝福された人生のようにみえるかもしれないが、本当はそうではない。
この世のものは、いつか消え去る。
それよりも、いつまでも消えてなくなることのない永遠の命をしっかりと携えて、平安のうちを歩むほうが幸いであろう。
目に見えるものに振り回されず、心の目をしっかり開いてイエス様を見上げていきたいものである。