1テモテ2章8節~3章1節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

1テモテ2:8 だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。
2:9 同じように、婦人はつつましい身なりをし、慎みと貞淑をもって身を飾るべきであり、髪を編んだり、金や真珠や高価な着物を身に着けたりしてはなりません。
2:10 むしろ、善い業で身を飾るのが、神を敬うと公言する婦人にふさわしいことです。
2:11 婦人は、静かに、全く従順に学ぶべきです。
2:12 婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。むしろ、静かにしているべきです。
2:13 なぜならば、アダムが最初に造られ、それからエバが造られたからです。
2:14 しかも、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて、罪を犯してしまいました。
2:15 しかし婦人は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子を産むことによって救われます。
3:1 この言葉は真実です。

一見すると、女性は男性に従うべきであるかのような記述にも見えなくもない。
けれど、ここで語られていることは、女性も男性も謙遜であるべきということなのではないだろうか。
8節では、まず、男性に対し「怒らず争わず、清い手を上げてどこでも祈ること」をパウロは望んでいると記されており、それがパウロの望みであり「だから」と始まっていることから、「平穏で落ち着いた生活をし」「すべての人が救われて真理を知るようになるため」にそうするべきであるということなおmである。
女性が静かにし、従順にするのも、そのためであり、何が何でも黙って男性に従わなければならないというものでもない。
しかるべき目的があって、その目的の故に、男性も女性も謙遜であるべきということが述べられているのであろう。
「子を産むことによって救われる」との一文は、いろいろと解釈も異なることもあるだろうけれども、創世記の3章において、人間の堕落の出来事が記されている箇所において、女性に対して産みの苦しみが与えられることになったという記述があることから、罪を犯したことの報いを受けた結果として産みの苦しみを味わうこととなったということであろう。ただ、それだから、全ての人が子供を産まなければならないということでもなく、女性にはそういう働きを担うことができるものとして語られているものと思う。
いずれにしても、女性が出産するとき、男性はそばにいて祈ることくらいしかできないのであるが、祈ることが最も素晴らしいということを覚えて、どこでも手を上げて祈るものとなりたいものである。