マルコ6:53 こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いて舟をつないだ。
6:54 一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、
6:55 その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。
6:56 村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。
イエス様が現代の世界におられたなら、きっとここに記されているようなことと同じようなことが起こるであろう。
世界中から、ありとあらゆる病に苦しむ人々がイエス様を訪ねてやってくることだろう。
しかし、それだけでは人は救われない。
イエス様が、神の御子御自身が十字架にかけられて、神の子の命が罪の償いのために捧げられなければ、幾ら病が癒されても、私たちの救いは成し遂げられない。
あの時代の、ローマの統治下にあったイスラエルに来られたからこそ、イエス様は十字架で死なれた、そう思う時、今の時代に必要なことは、聖書の証言で良いのだと思わされる。
病の中にあることは、確かに辛いし、一日も早く癒してもらいたいと思う。
けれど、それよりも命の贖われること、イエス様の尊い命の代価が支払われたことによる救いにあずからせていただいていることを喜びたい。