マルコ4章13~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マルコ4:13 また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。
4:14 種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。
4:15 道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。
4:16 石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、
4:17 自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。
4:18 また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、
4:19 この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。
4:20 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」

今から7年前、ノルウェーの各地を訪ねて、日本への宣教を訴えて巡り歩いた時に与えられたみ言葉がこの箇所である。
日本は霊的に混沌とした国で、多くの人が目先の楽しみや一時的な快楽などに心を捕らわれ、大切なことに心を留めようとしないまま生きている。
しかし、それは果たして生きていると言えるのか。
生物学的には生きていたとしても、霊的には滅んでいる状態に等しい。

「あなたは生きていますか?」と問われて「はい、生きています」と答えられるには、真の命がどうものなのか知っておく必要があろう。
真の命とは、仮に病であっても、悩みがあったとしても、滅びることはない永遠の命の約束を手に入れていることである。
どうすればその命を手に入れることができるか、まずは心を耕して、神の語られるみ言葉の種を受け入れる準備をしなければなるまい。
そして、受け取ったみ言葉の種が芽生え、育ち、そして豊かに実を結んでいく、そのような過程を経て、真の命に至る。
それが生きているということであろう。
真の命の約束を頂いている者は、希望を見失うことはない。
永遠の神、イエス様が命がけで愛し、救って下さった約束は、それこそ永遠に変わらないからである。