1コリント11:2 あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います。
11:3 ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。
11:4 男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります。
11:5 女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。
11:6 女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。
11:7 男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。
11:8 というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、
11:9 男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。
11:10 だから、女は天使たちのために、頭に力の印をかぶるべきです。
11:11 いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。
11:12 それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。
11:13 自分で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのが、ふさわしいかどうか。
11:14 -15 男は長い髪が恥であるのに対し、女は長い髪が誉れとなることを、自然そのものがあなたがたに教えていないでしょうか。長い髪は、かぶり物の代わりに女に与えられているのです。
11:16 この点について異論を唱えたい人がいるとしても、そのような習慣は、わたしたちにも神の教会にもありません。
聖書に書かれている事柄は、そのまま読めば、どうしても男尊女卑の傾向が読み取れてしまう。
確かに、創世記の記述を見ると、女は男の骨の一部を用いて創られたとあり、女が男から出たと言う主張の根拠となっている。
ただ、同時に、全ての男も(女もだが)女から生まれてくる。
女が男から出たというのは、天地創造の最初の一度だけで、あとは全ての人が女から生まれてきている。
そして、12節では、女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ていると語られており、結局は、全ての人は神から出ているということである。
聖書を完全に理解するのは難しい。
もし、創世記の記述やコリントのこの箇所を根拠に、男尊女卑のような考え方を推し進めていくことなら、その時は、男は3節のみ言葉に立ち返る必要がある。
すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。
キリストを頭とするなら、キリストが己の命を捨ててまで謙遜に歩まれたように、男は女を愛し仕えるべきであるということであろう。
間違っても、男が女に対して偉そうに命令したり、奴隷のように扱ったりすることを意図しているのではないことは明らかである。
男が女の頭であるということは、言葉のイメージ以上に重く、また、深い愛に満ちた言葉であるということを覚えたいものである。