1コリント9:12 他の人たちが、あなたがたに対するこの権利を持っているとすれば、わたしたちはなおさらそうではありませんか。しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます。
9:13 あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。
9:14 同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。
9:15 しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだ方がましです……。だれも、わたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない。
9:16 もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。
9:17 自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。
9:18 では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。
パウロは福音を宣べ伝えることによる報酬を受け取らないで働きを続けていた。
そんなことをするlくらいなら、死んだほうがまし、とまで述べている。
伝道者として、これくらい徹底してできれば、それはそれで素晴らしいのだろうと思う。
彼は生活の糧を他の仕事(天幕つくり)を通して得ていたであろうし、もともと裕福な家庭に育ったため、蓄えも多かったのかもしれない。
いずれにしても、今の時代に、パウロと同じように働くことは簡単なことではない。
まず歴史的な背景も違うし、聖書なんて見た事も聞いたこともないという人がほとんどであり、そういう人たちに伝道していくためには、他の仕事をしながら、片手間に伝道を進めていくのは、簡単ではないし、途中で疲れ果ててしまう危険性もあろう。
とはいっても、専門で働いたとしても、それほど成果の出る働きではないし、どのような働きのあり方がいいのか、検討するのもいいかもしれない。
人は限られた時間と資源の中で、限られた働きしかできないから、知恵も必要である。
しかし、それよりも、無限の恵みと力を備えておられる主なる神に信頼し、神が働かれることを期待しつつ、神の働きに関わらせていただく音が大切なのだろう。
限られた時間の中で、今日も祈りつつ歩ませていただきたいものである。