エフェソ1:15 こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、
1:16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、
1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
1:20 神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、
1:21 すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。
1:22 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
1:23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。
聖書に語られていることで、興味深いことは、「神の義と神の愛」とか「律法と福音」、「義人にして罪人」といったように、互いに相反する事柄が同時に成り立っているという不思議である。
先日ある方と、救われてクリスチャンになったからと言って、すべてが上手くいくというわけではなく、相変わらず苦難や悩みを抱えて生きていることには違いない。けれど、既に救われているという事実は変わらないということを共にみ言葉から学ぶ機会があった。
不思議な約束だが、その通りなのだ。
私たちは今の時代を生きているが、既に神の国の民とされている。
この、なんだかよく分からないけど救われているという約束を携えて、我々は今日という日を生きている。
霊の目を開いて、神が約束された事柄に信頼して、この世の生を生きていきたいと願うものである。