士師記2章6節~3章31節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

士師記2:6 ヨシュアが民を送り出したので、イスラエルの人々は土地を獲得するため、それぞれ自分の嗣業の地に向かった。
2:7 ヨシュアの在世中はもとより、ヨシュアの死後も生き永らえて、主がイスラエルに行われた大いなる御業をことごとく見た長老たちの存命中、民は主に仕えた。
2:8 主の僕、ヌンの子ヨシュアは百十歳の生涯を閉じ、
2:9 エフライムの山地にある彼の嗣業の土地ティムナト・ヘレスに葬られた。それはガアシュ山の北にある。
2:10 その世代が皆絶えて先祖のもとに集められると、その後に、主を知らず、主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興った。
2:11 イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった。
2:12 彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神、主を捨て、他の神々、周囲の国の神々に従い、これにひれ伏して、主を怒らせた。
2:13 彼らは主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えたので、
2:14 主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らを略奪者の手に任せて、略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。
2:15 出陣するごとに、主が告げて彼らに誓われたとおり、主の御手が彼らに立ち向かい、災いをくだされた。彼らは苦境に立たされた。
2:16 主は士師たちを立てて、彼らを略奪者の手から救い出された。
2:17 しかし、彼らは士師たちにも耳を傾けず、他の神々を恋い慕って姦淫し、これにひれ伏した。彼らは、先祖が主の戒めに聞き従って歩んでいた道を早々に離れ、同じように歩もうとはしなかった。
2:18 主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。
2:19 その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった。
2:20 主はイスラエルに対して怒りに燃え、こう言われた。「この民はわたしが先祖に命じたわたしの契約を破り、わたしの声に耳を傾けなかったので、
2:21 ヨシュアが死んだときに残した諸国の民を、わたしはもうこれ以上一人も追い払わないことにする。
2:22 彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうか見るためである。」
2:23 主はこれらの諸国の民をそのままとどまらせ、すぐ追い払うことはなさらなかった。彼らをヨシュアの手に渡すこともなさらなかった。
3:1 カナン人とのいかなる戦いも知らないイスラエルとそのすべての者を試みるために用いようとして、主がとどまらせられた諸国の民は以下のとおりである。
3:2 そうされたのは、ただ以前に戦いを知ることがなかったということで、そのイスラエルの人々の世代に戦いを学ばせるためにほかならなかった。
3:3 ペリシテ人の五人の領主、すべてのカナン人、シドン人、バアル・ヘルモンの山からレボ・ハマトに及ぶレバノンの山地に住むヒビ人がそれである。
3:4 彼らはイスラエルを試みるため、主がモーセによって先祖に授けられた戒めにイスラエルが聞き従うかどうかを知るためのものであった。
3:5 しかし、イスラエルの人々はカナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の中に住んで、
3:6 彼らの娘を妻に迎え、自分たちの娘を彼らの息子に嫁がせ、彼らの神々に仕えた。
3:7 イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、彼らの神、主を忘れ、バアルとアシェラに仕えた。
3:8 主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡されたので、イスラエルの人々は八年間、クシャン・リシュアタイムに仕えなければならなかった。
3:9 イスラエルの人々が主に助けを求めて叫んだので、主はイスラエルの人々のために一人の救助者を立て、彼らを救われた。これがカレブの弟ケナズの子オトニエルである。
3:10 主の霊が彼の上に臨み、彼は士師としてイスラエルを裁いた。彼が戦いに出ると、主は、アラムの王クシャン・リシュアタイムを彼の手に渡してくださったので、彼の手はクシャン・リシュアタイムを抑えることができた。
3:11 国は四十年にわたって平穏であった。こうしてケナズの子オトニエルは死んだ。
3:12 イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行った。彼らが主の目に悪とされることを行ったので、主は、モアブの王エグロンを強くすることでイスラエルを脅かされた。
3:13 彼はアンモン人とアマレク人を集め、攻めて来てイスラエルを破り、なつめやしの町を占領した。
3:14 こうしてイスラエルの人々は、十八年間、モアブの王エグロンに仕えなければならなかった。
3:15 イスラエルの人々が主に助けを求めて叫んだので、主は彼らのために一人の救助者を立てられた。これがベニヤミン族のゲラの子、左利きのエフドである。イスラエルの人々は貢ぎ物を彼の手に託して、モアブの王エグロンのもとに送った。
3:16 エフドは刃渡り一ゴメドの両刃の剣を作り、それを右腰に帯びて上着で隠し、
3:17 モアブの王エグロンのもとに貢ぎ物を納めに行った。王は非常に太っていた。
3:18 エフドは貢ぎ物を納め終わると、貢ぎ物を運んで来た者たちを去らせ、
3:19 自らはギルガルに近い偶像のあるところから引き返し、「王よ、内密の話がございます」と言った。王が、「黙れ」と言うと、そばにいた従臣たちは皆席をはずした。
3:20 エフドは近づいたが、そのとき王は屋上にしつらえた涼しい部屋に座り、ただ一人になっていた。エフドが、「あなたへの神のお告げを持って来ました」と言うと、王は席から立ち上がった。
3:21 エフドは左手で右腰の剣を抜き、王の腹を刺した。
3:22 剣は刃からつかまでも刺さり、抜かずにおいたため脂肪が刃を閉じ込めてしまった。汚物が出てきていた。
3:23 エフドは廊下に出たが、屋上にしつらえた部屋の戸は閉じて錠を下ろしておいた。
3:24 彼が出て行った後、従臣たちが来て、屋上にしつらえた部屋の戸に錠がかかっているのを見、王は涼しいところで用を足しておられるのだと言い合った。
3:25 待てるだけ待ったが、屋上にしつらえた部屋の戸が開かないので、鍵を取って開けて見ると、彼らの主君は床に倒れて死んでいた。
3:26 彼らが手間取っている間にエフドは抜け出し、偶像のあったところを過ぎてセイラに逃れた。
3:27 到着すると、彼はエフライムの山地に角笛を吹き鳴らした。イスラエルの人々は彼と一緒になり、彼を先頭に山を下った。
3:28 彼は言った。「わたしの後について来なさい。主は敵モアブをあなたたちの手に渡してくださった。」彼らはそのエフドに従って下り、モアブに向かうヨルダンの渡しを手中に収めた。彼らはだれ一人そこを渡らせなかった。
3:29 彼らはこのとき約一万のモアブ人を打ち殺した。皆たくましい兵士たちであったが、一人として逃れた者はいなかった。
3:30 モアブはこの日イスラエルの手中に落ちて屈服し、国は八十年にわたって平穏であった。
3:31 エフドの後、アナトの子シャムガルが現れ、牛追いの棒でペリシテ人六百人を打ち殺した。彼もイスラエルを救った。

本日の聖書日課の箇所は、士師記2章6節から3章31節までとなっていて、はっきり言って長い。
2章6節から23節までは、士師記のガイドラインが記されており、それ以降は、繰り返されるイスラエルの罪と、各士師と呼ばれる、神が建てられた裁き司らの活躍による救いの記事が記される。
その間にあって、3章1~6節の箇所は、なぜ主なる神様がカナンの先住民を生かしておかれたのかについて語られており、それはイスラエルの民に戦いを学ばせるためであり、それを通して、彼らが神との契約を守るかどうか試すためであるということが語られている。
戦いを学ばせるためというと、かなり物騒な話であり、現代に続くパレスチナ周辺の紛争の根っこがこの辺りにも由来していることも否めない。
しかし、主が学ばせようとした戦いとは、果たして、人と人とが殺しあうような戦争だけを示しているのだろうか。
たとえば、我々が現代の社会の中で信仰者として生きていこうとする時、社会のしがらみの中で様々な戦いがある。
けれど、それを戦争とは呼ばない。
殺し合いなどでは本当の解決はありえない。
むしろ、殺し合いでは解決できない本当の戦いに挑んでいくことに大きな意味があるのだと思う。
クリスチャンが一人もいない中、異教社会の中、分離した生活を押し通していくのではなく、むしろ、社会の一員として、社会に溶け込みながらも、同時に一人の信仰者として、その信仰を守り通し、救われた者としての喜びに満ちた生涯を全うしていく。
それこそが、私たちに求められている真の戦いなのだと思う。
そういう戦いを学ばせるために、あえて、神は私たちの周りにも他の宗教・文化などを持つ方々を置いておられるのかもしれない。
人生とは、そういう中での生きた戦いである。