詩篇38篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇38:1 賛歌。ダビデの詩。記念。
38:2 主よ、怒ってわたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。
38:3 あなたの矢はわたしを射抜き御手はわたしを押さえつけています。
38:4 わたしの肉にはまともなところもありませんあなたが激しく憤られたからです。骨にも安らぎがありませんわたしが過ちを犯したからです。
38:5 わたしの罪悪は頭を越えるほどになり耐え難い重荷となっています。
38:6 負わされた傷は膿んで悪臭を放ちますわたしが愚かな行いをしたからです。
38:7 わたしは身を屈め、深くうなだれ一日中、嘆きつつ歩きます。
38:8 腰はただれに覆われています。わたしの肉にはまともなところもありません。
38:9 もう立てないほど打ち砕かれ心は呻き、うなり声をあげるだけです。
38:10 わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり嘆きもあなたには隠されていません。
38:11 心は動転し、力はわたしを見捨て目の光もまた、去りました。
38:12 疫病にかかったわたしを愛する者も友も避けて立ちわたしに近い者も、遠く離れて立ちます。
38:13 わたしの命をねらう者は罠を仕掛けます。わたしに災いを望む者は欺こう、破滅させよう、と決めて一日中それを口にしています。
38:14 わたしの耳は聞こえないかのように聞こうとしません。口は話せないかのように、開こうとしません。
38:15 わたしは聞くことのできない者口に抗議する力もない者となりました。
38:16 主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。わたしの主よ、わたしの神よ御自身でわたしに答えてください。
38:17 わたしは願いました「わたしの足がよろめくことのないように彼らがそれを喜んで尊大にふるまうことがないように」と。
38:18 わたしは今や、倒れそうになっています。苦痛を与えるものが常にわたしの前にあり
38:19 わたしは自分の罪悪を言い表そうとして犯した過ちのゆえに苦悩しています。
38:20 わたしの敵は強大になりわたしを憎む者らは偽りを重ね
38:21 善意に悪意をもってこたえます。わたしは彼らの幸いを願うのに彼らは敵対するのです。
38:22 主よ、わたしを見捨てないでください。わたしの神よ、遠く離れないでください。
38:23 わたしの救い、わたしの主よすぐにわたしを助けてください。

今日は教会で聖書の学び会を予定している。
内容は、旧約聖書における契約と新約聖書における契約との関係について。
旧約聖書には、主にアブラハムの契約、シナイ契約、そしてダビデの契約の三つの契約が記されている。
その中で、シナイ契約は、主なる神様がモーセを通してイスラエルの民に律法を与えられた契約として有名である。
このシナイ契約で結ばれた律法の言葉は、時に、我々を苦しめることがある。
なぜなら、神様の求められる律法は、完全であり、一切の容赦はないからである。
もし、そのような律法の前に私たちが立つとするなら、おそらく一瞬で裁かれて終わりであろう。
しかし、主なる神様は、その裁きに耐えられない私たちのために、一つの方法をとられた。
それがイエス様の十字架による、我々の身代わりとしての裁きの完成である。
この詩篇では、裁きの前に為す術のない私たちのありのままの姿が記されていると言える。
しかし、そのような私たちに、裁きを逃れる術はない。
たった一つ、それを免れる方法は、ただただ主なる神に頼ることであり、16節で「わたしの神よ御自身でわたしに答えてください」と祈られている通り、神御自身の手による裁きの完成を待つほかないのである。
神御自身の手による裁きの完成とは、イエス様が自らの命を十字架に捧げられたことによって成し遂げられた贖いの御業をおいて他にはない。
私たちは、神御自身の贖いの御業によって救われる。
だからこそ、「主は我が救い」なのである。