詩篇32篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇32:1 ダビデの詩。マスキール。いかに幸いなことでしょう背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
32:2 いかに幸いなことでしょう主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
32:3 わたしは黙し続けて絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
32:4 御手は昼も夜もわたしの上に重くわたしの力は夏の日照りにあって衰え果てました。
32:5 わたしは罪をあなたに示し咎を隠しませんでした。わたしは言いました「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。
32:6 あなたの慈しみに生きる人は皆あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにもその人に及ぶことは決してありません。
32:7 あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもってわたしを囲んでくださる方。
32:8 わたしはあなたを目覚めさせ行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
32:9 分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。
32:10 神に逆らう者は悩みが多く主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
32:11 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。

本当に幸いな人生とは、どういう人生だろうか。
優しい家族に囲まれ、何不自由なく暮らせるほどのお金や環境があり、やりたい事を自由にできる、そんな人生は、果たして幸いなのだろうか。
人はいくら豊かになり、いくら自由な時間が与えられていても、なお、不安が付きまとう。
これだけあっても、まだ足りない、漠然とした不安、そういうものに怯えながら生きることになる。
それは何故かと言うと、赦され、愛されているという安心感を得ていないからであろう。
人は多かれ少なかれ罪を犯すもの。
しかし、その罪に対し、常に責めを感じる。
それが解消されない限り、不安に怯えながら生きることになる。
しかし、その罪を、十字架の贖いによって赦して下さる方のもとに持っていく時、完全な赦しの約束を頂くことができ、その約束に信頼して生きるとき、人は真に幸いな平安に満たされた人生を歩むことができるようになる。
それが聖書の約束である。
人は神が創られた存在であり、そのことを受け入れたとき、はじめて本当の人らしい人生を歩み始めるのだ。
神を知らない人は、分別のない馬やらばのようなものとまで言われている。
人は人として生きるべき。
そのためには、神を知り、神に従って生きることが大切。
今日も人らしく生きよう。