詩篇26篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇26:1 ダビデの詩。主よ、あなたの裁きを望みます。わたしは完全な道を歩いてきました。主に信頼して、よろめいたことはありません。
26:2 主よ、わたしを調べ、試みはらわたと心を火をもって試してください。
26:3 あなたの慈しみはわたしの目の前にありあなたのまことに従って歩き続けています。
26:4 偽る者と共に座らず欺く者の仲間に入らず
26:5 悪事を謀る者の集いを憎み主に逆らう者と共に座ることをしません。
26:6 主よ、わたしは手を洗って潔白を示しあなたの祭壇を廻り
26:7 感謝の歌声を響かせ驚くべき御業をことごとく語り伝えます。
26:8 主よ、あなたのいます家あなたの栄光の宿るところをわたしは慕います。
26:9 わたしの魂を罪ある者の魂と共にわたしの命を流血を犯す者の命と共に取り上げないでください。
26:10 彼らの手は汚れた行いに馴れその右の手には奪った物が満ちています。
26:11 わたしは完全な道を歩きます。わたしを憐れみ、贖ってください。
26:12 わたしの足はまっすぐな道に立っています。聖歌隊と共にわたしは主をたたえます。

主なる神の御前で、潔癖で、悪に手を染めることなく、完全な歩みを続けること、それは、誰もが願うことではないだろうか。
そして、そう生きている自分を認めて欲しい、と思うものである。
しかし、実際はなかなかそう上手く行かない。
潔癖で、善を追い求め、完全なる生き方をしているかどうかと問われれば、むしろ、全く反対の自分の姿を思い知らされるのだ。
けれど、そうありたいと願う心は偽りではない。
私のうちにも、潔さを求める心があるのも事実。

ローマ7:15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
7:16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。
7:17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7:18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。
7:19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。
7:20 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7:21 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。
7:22 「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、
7:23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。
7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

これが私たちの現実である。
したいと思う善を行うことができず、したくないと思う悪を行ってしまう。
けれど、善を求める心が私のうちにもあるのだ。
それは、イエス様が私たちのうちに住み、働かれておられる証拠。
私が前面に出るのではなく、イエス様に大いに働いていただけるように願いつつ、主の御言葉を聞き、賛美をささげ、祈りつつ前に進んでいきたいものである。