マタイ9:32 二人が出て行くと、悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。
9:33 悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。
9:34 しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。
9:35 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
9:36 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
9:37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
9:38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
先日、神学校の理事会主催の理事研修会に参加してきた。
組織運営のおけるリーダーシップ育成の重要性についてという、一風変わった学びである。
なぜかと言うと、理事会のような組織は、たとえ教会の働きとはいえ、経済的な運営責任なども負う事となり、こういう場面では、社会での経験も問われてくる。なんでもかんでも「祈りましょう」と言って、主が天の窓を開いて恵みを与えて下さると信じていればいいというような考えだけでは、とうてい運営を担っていくことは不可能だからである。
とはいえ、バリバリの社会経験だけを持ち込んできて、果たしてそれで上手く行くかと言うと、必ずしもそうではない面もある。
要は、バランスの問題なのだ。
霊的リーダシップを打ち消すのでもなく、それも重要であるが、たとえ神の国の働きを担う組織であろうと、この世において働きを進めていくための組織として、それを運営していくための一般的なリーダーシップというのも重要。
研修会で、面白い話を聞いた。
天地創造の際、地は混沌であって、神の霊が水の上を動いていた、と記されている。霊的なことだけを主張しても、組織化されていなければ、混沌であると。
確かにその通り。いくら優秀な霊的指導者がいても、組織的に行動できるよう導いていかなければ、組織は混乱してしまう。
あまり、ガチガチに組織化する必要はないにせよ、ある程度は、秩序が保たれるような組織化は必要である。
イエス様も「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」のであり、その混乱を治めるように「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」と命じられたのである。
働き人は、このような混乱した世界に、神の真の秩序をもたらすために遣わされる。
何が重要で、何を頼りに生きて行くべきか、それを知らしめ、導いていくこと。それが我々に託された使命なのだと思う。