マタイ26:14 そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、
26:15 「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。
26:16 そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
イエス様の弟子の一人のユダは、イエス様を裏切り、祭司長たちにわずか銀貨三十枚で売り渡した。
銀貨三十枚という値段は、旧約聖書では奴隷を死なせた時の賠償の値段であり、それくらいイエス様を人間扱いしない祭司長らの心が読み取れる。
ましてや、モーセの時代とイエス様の時代とでは、貨幣価値も違っていたかもしれない。
出エジプト21:28 牛が男あるいは女を突いて死なせた場合、その牛は必ず石で打ち殺されねばならない。また、その肉は食べてはならない。しかし、その牛の所有者に罪はない。
21:29 ただし、もし、その牛に以前から突く癖があり、所有者に警告がなされていたのに、彼がその警告を守らず、男あるいは女を死なせた場合は、牛は石で打ち殺され、所有者もまた死刑に処せられる。
21:30 もし、賠償金が要求された場合には、自分の命の代償として、要求されたとおりに支払わねばならない。
21:31 男の子あるいは女の子を突いた場合も、この規定に準じて処理されねばならない。
21:32 もし、牛が男奴隷あるいは女奴隷を突いた場合は、銀三十シェケルをその主人に支払い、その牛は石で打ち殺されねばならない。
イエス様は奴隷のごとく扱われ、売られていった。
しかし、それは、私たちを救うための身代わりとして捧げられるためのいけにえとしての奴隷であり、私たちの救いを完成するために仕えられた奴隷となられたということでもある。
祭司長たちは、イエス様を奴隷のごとく忌み嫌い、銀貨三十枚という値段をつけたのであるが、私たちにとっては、私たちの救いを完成させるために、いけにえとしての道を歩まれた仕えるお方として受け入れたいものである。