ホセア6章11節~7章16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ホセア6:11 ユダよ、お前にも刈り取られる時が定められている。わたしが民を回復させようとし
7:1 イスラエルをいやそうとしてもかえって、エフライムの不義サマリアの悪が現れる。実に、彼らは偽りをたくらむ。盗人は家に忍び込み外では追いはぎの群れが人を襲う。
7:2 わたしは彼らの悪事をすべて心に留めている。しかし、彼らは少しも意に介さない。今や、彼らは悪に取り囲まれその有様はわたしの目の前にある。
7:3 彼らは悪事によって王を欺きによって高官たちを喜ばせる。
7:4 彼らは皆、姦淫を行う者燃えるかまどのようだ。パンを焼く者は小麦粉をこねると膨むまで、火をかき立てずにじっと待つ。
7:5 我々の王の祝いの日に高官たちはぶどう酒の熱で無力になり王は陰謀を働く者たちと手を結び
7:6 燃えるかまどのようなたくらみに心を近づける。夜の間眠っていた彼らの怒りは朝になると燃え盛る火のように炎を噴く。
7:7 彼らは皆、かまどのように熱くなり自分たちを支配する者を焼き尽くした。王たちはことごとく倒れひとりとして、わたしを呼ぶ者はなかった。
7:8 エフライムは諸国民の中に交ぜ合わされエフライムは裏返さずに焼かれた菓子となった。
7:9 他国の人々が彼の力を食い尽くしても彼はそれに気づかない。白髪が多くなっても彼はそれに気づかない。
7:10 イスラエルを罪に落とすのは自らの高慢である。彼らは神なる主に帰らずこれらすべてのことがあっても主を尋ね求めようとしない。
7:11 エフライムは鳩のようだ。愚かで、悟りがない。エジプトに助けを求めあるいは、アッシリアに頼って行く。
7:12 彼らが出て行こうとするときわたしはその上に網を張り網にかかった音を聞くと空の鳥のように、引き落として捕らえる。
7:13 なんと災いなことか。彼らはわたしから離れ去った。わたしに背いたから、彼らは滅びる。どんなに彼らを救おうとしても彼らはわたしに偽って語る。
7:14 彼らは心からわたしの助けを求めようとはしない。寝床の上で泣き叫び穀物と新しい酒を求めて身を傷つけるがわたしには背を向けている。
7:15 わたしは、彼らを教えてその腕を強くしたが彼らはわたしに対して悪事をたくらんだ。
7:16 彼らは戻ってきたがねじれた弓のようにむなしいものに向かった。高官たちは自分で吐いた呪いのために剣にかかって倒れエジプトの地で、物笑いの種となる。

助けを求めて主なる神のもとへやってきても、その求めているところがこの世の富や快楽の延長線上にあるものである限り、議論は平行線をたどる。
人は自分のエゴや欲望を抱えたままでは、神様の与えようとしている恵みが見えなくなってしまうからである。
さりとて「あなたのその欲望を追い求めようとする態度が罪なのです」と指摘した所で、文字通り、燃え盛る炉のように怒りを発し、神の言葉に耳を傾けようとはしなくなるだけだろう。
しかし、それが、ありのままの人間の姿なのかもしれない。

では、どうすれば、人はこの過ちに気づき、真の悔い改めへと進むことができるのだろう。
もし人がこのことに気がついた時、それは真に悔い改めに導かれる時であると思うが、それが実現する人というのは、悔い改められない人と、何が違うのだろうか。
罪を悔い改めれば、十字架によるイエス様の赦しも頂くことができ、そこには、まことの安らぎが与えられる。
ということは、本質的に求めている事柄が違うということなのだろうか。
イエス様を信じるということは、そんなにも難しいことなのだろうか。
イエス様を信じることによって、そこに真の平安があり、真の喜びがあるということ、一人でも多くの方に知って欲しいと願うばかり。