詩篇18篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇18:1 指揮者によって。主の僕の詩。ダビデの詩。主がダビデをすべての敵の手、また、サウルの手から救い出されたとき、彼はこの歌の言葉を主に述べた。
18:2 主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。
18:3 主はわたしの岩、砦、逃れ場わたしの神、大岩、避けどころわたしの盾、救いの角、砦の塔。
18:4 ほむべき方、主をわたしは呼び求め敵から救われる。
18:5 死の縄がからみつき奈落の激流がわたしをおののかせ
18:6 陰府の縄がめぐり死の網が仕掛けられている。
18:7 苦難の中から主を呼び求めわたしの神に向かって叫ぶとその声は神殿に響き叫びは御前に至り、御耳に届く。
18:8 主の怒りは燃え上がり、地は揺れ動く。山々の基は震え、揺らぐ。
18:9 御怒りに煙は噴き上がり御口の火は焼き尽くし、炎となって燃えさかる。
18:10 主は天を傾けて降り密雲を足もとに従え
18:11 ケルブを駆って飛び風の翼に乗って行かれる。
18:12 周りに闇を置いて隠れがとし暗い雨雲、立ちこめる霧を幕屋とされる。
18:13 御前にひらめく光に雲は従い雹と火の雨が続く。
18:14 主は天から雷鳴をとどろかせいと高き神は御声をあげられ雹と火の雨が続く。
18:15 主の矢は飛び交い稲妻は散乱する。
18:16 主よ、あなたの叱咤に海の底は姿を現しあなたの怒りの息に世界はその基を示す。
18:17 主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ大水の中から引き上げてくださる。
18:18 敵は力がありわたしを憎む者は勝ち誇っているがなお、主はわたしを救い出される。
18:19 彼らが攻め寄せる災いの日主はわたしの支えとなり
18:20 わたしを広い所に導き出し、助けとなり喜び迎えてくださる。
18:21 主はわたしの正しさに報いてくださる。わたしの手の清さに応じて返してくださる。
18:22 わたしは主の道を守りわたしの神に背かない。
18:23 わたしは主の裁きをすべて前に置き主の掟を遠ざけない。
18:24 わたしは主に対して無垢であろうとし罪から身を守る。
18:25 主はわたしの正しさに応じて返してくださる。御目に対してわたしの手は清い。
18:26 あなたの慈しみに生きる人にあなたは慈しみを示し無垢な人には無垢に
18:27 清い人には清くふるまい心の曲がった者には背を向けられる。
18:28 あなたは貧しい民を救い上げ高ぶる目を引き下ろされる。
18:29 主よ、あなたはわたしの灯を輝かし神よ、あなたはわたしの闇を照らしてくださる。
18:30 あなたによって、わたしは敵軍を追い散らしわたしの神によって、城壁を越える。
18:31 神の道は完全主の仰せは火で練り清められている。すべて御もとに身を寄せる人に主は盾となってくださる。
18:32 主のほかに神はない。神のほかに我らの岩はない。
18:33 神はわたしに力を帯びさせわたしの道を完全にし
18:34 わたしの足を鹿のように速くし高い所に立たせ
18:35 手に戦いの技を教え腕に青銅の弓を引く力を帯びさせてくださる。
18:36 あなたは救いの盾をわたしに授け右の御手で支えてくださる。あなたは、自ら降りわたしを強い者としてくださる。
18:37 わたしの足は大きく踏み出しくるぶしはよろめくことがない。
18:38 敵を追い、敵に追いつき滅ぼすまで引き返さず
18:39 彼らを打ち、再び立つことを許さない。彼らはわたしの足もとに倒れ伏す。
18:40 あなたは戦う力をわたしの身に帯びさせ刃向かう者を屈服させ
18:41 敵の首筋を踏ませてくださる。わたしを憎む者をわたしは滅ぼす。
18:42 彼らは叫ぶが、助ける者は現れず主に向かって叫んでも答えはない。
18:43 わたしは彼らを風の前の塵と見なし野の土くれのようにむなしいものとする。
18:44 あなたはわたしを民の争いから解き放ち国々の頭としてくださる。わたしの知らぬ民もわたしに仕え
18:45 わたしのことを耳にしてわたしに聞き従い敵の民は憐れみを乞う。
18:46 敵の民は力を失い、おののいて砦を出る。
18:47 主は命の神。わたしの岩をたたえよ。わたしの救いの神をあがめよ。
18:48 わたしのために報復してくださる神よ諸国の民をわたしに従わせてください。
18:49 敵からわたしを救い刃向かう者よりも高く上げ不法の者から助け出してください。
18:50 主よ、国々の中でわたしはあなたに感謝をささげ御名をほめ歌う。
18:51 主は勝利を与えて王を大いなる者とし油注がれた人を、ダビデとその子孫をとこしえまで慈しみのうちにおかれる。

いつの時代にも、争いや悩みはある。
そして、主を信じる者に対する迫害も、一見ないように思えても、人目につかないところで確実に行われている。
先日、ある人が「キリスト教会なんて、聖書の言葉をえらそうに教えるだけで、何も人助けになることをしていないではないか。お前に聖書の言葉を語る資格はない」と教会に電話をかけてきて言われた。
確かにその通りである。
私たちは、困っている人を何も助けてあげることができない。
けれど、その人たちの求めている助けとは何か。
この世の富や快楽や、地位や名声、成功や繁栄などを求めているのなら、あえて、そのような助けを提供することはできないし、したくはない。
聖書の神は、我らに対し、自らの命を差し出して救おうとしてくださったが、それは、罪の赦しを与えるものであって、罪を助長するようなものではない。
求めているものが根本的に違っていれば、助けようにも助けられるはずは無い。
そう考えると、キリスト教は、この世においては、あまりにも無力すぎるのかもしれない。

キリスト教が偽善に満ちた宗教だとののしりたいのなら、ののしればいいと思う。
けれど、どんなにののしられたところで、私たちは聖書の御言葉にその信頼の基盤を置くことに変わりは無い。

主はわたしの岩、砦、逃れ場わたしの神、大岩、避けどころわたしの盾、救いの角、砦の塔。
ほむべき方、主をわたしは呼び求め敵から救われる。