ヨハネ14章21~27節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨハネ14:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
14:22 イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。
14:23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
14:24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
14:25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

イスカリオテでない方のユダは、イエス様に何故ご自分を世に現さないのかと尋ねているが、イエス様のお答えは「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守るというもので、言わば、聞き取り手、受け手の側の問題であるということを述べておられる。
いくらイエス様がご自分が真の神であると語られても、それを聞く側の者が信じようとしなければ、何も起こらないし、どんなにイエス様が奇跡の御業を行われたとしても、それを信じようとしない者にとっては、何の力にもならないのである。
イエス様がどのようなお方であるかということは、まさに、受け手の側の信仰によってどのようにでも摩り替えられてしまう危険性があるということだろう。
だとしたら、信じていると思っている者にとっても、その信仰が揺らぐこともないとは言えないのかもしれない。
だからこそ、イエス様は、弁護者である聖霊をお送りくださると約束されたのだろう。
聖霊は、御言葉と共に働いて、イエス様がどのようなお方であるか、私たちのために何を成して下さったのかということを、いつも思い出させてくれる。
言い換えれば、そのことを思い起こすことができた時、そこに聖霊様が働いておられるということでもある。
ならば、いつもイエス様のことを思っていよう。
いつもイエス様が私のために何を成し遂げて下さったかということを覚えていよう。
そのためには、やはり御言葉に聞いていかなければならない。