列王記上11章1~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記上11:1 ソロモン王はファラオの娘のほかにもモアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。
11:2 これらの諸国の民については、主がかつてイスラエルの人々に、「あなたたちは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをあなたたちの中に入れてはならない。彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる」と仰せになったが、ソロモンは彼女たちを愛してそのとりことなった。
11:3 彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。
11:4 ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。
11:5 ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。
11:6 ソロモンは主の目に悪とされることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。
11:7 そのころ、ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる高台を築いた。アンモン人の憎むべき神モレクのためにもそうした。
11:8 また、外国生まれの妻たちすべてのためにも同様に行ったので、彼女らは、自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。
11:9 ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、
11:10 他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。
11:11 そこで、主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。
11:12 あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。
11:13 ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。」
11:14 こうして主は、ソロモンに敵対する者としてエドム人ハダドを起こされた。彼はエドムの王家の血筋を引く者であった。
11:15 かつてダビデがエドムを征服したとき、軍の司令官ヨアブが戦死者を葬るために上って行き、エドムの男子をことごとく打ち殺した。
11:16 ヨアブは、すべてのイスラエル人と共に六か月にわたり駐留し、エドムのすべての男子を滅ぼした。
11:17 このとき少年であったハダドは、父の家臣のエドム人数人と共に逃亡し、エジプトに向かった。
11:18 ミディアンを出発してパランに行き、パランから同行する従者たちを加えてエジプトに入り、エジプト王ファラオのもとに来た。ファラオは、彼に住まいを与え、食糧を手配し、土地を与えた。
11:19 ハダドは、ファラオに大変気に入られ、ファラオの妻、王妃タフペネスの妹を妻として与えられた。
11:20 タフペネスの妹は、彼との間に男児ゲヌバトを産み、タフペネスはその子をファラオの宮殿の中で育てた。ゲヌバトは、ファラオの宮殿でその王子たちの中に加わっていた。
11:21 エジプトでハダドは、ダビデが先祖たちと共に眠りにつき、また軍の司令官ヨアブも死んだと伝え聞くと、ファラオに、「故国に帰らせてください」と申し出た。
11:22 ファラオは、「故国に帰りたいとは、わたしに何か不満でもあるのか」とただしたが、ハダドは、「いいえ、ただ帰らせてほしいのです」と答えた。
11:23 また神は、ソロモンに敵対する者としてエルヤダの子レゾンを起こされた。彼は、自分の主君ツォバの王ハダドエゼルを捨てて逃亡し、
11:24 ダビデがツォバの人々を打ち殺したとき、仲間を集めて、自ら首領となった。彼らはダマスコに行って住み着き、ダマスコで支配者となった。
11:25 レゾンは、ソロモンの存命中、絶えずイスラエルに敵対して、ハダドのように災いをもたらし、イスラエルを憎んだ。彼はまたアラムをも支配下に置いた。

ソロモンの繁栄は、やがて異教の国々のそばめらをめとったことから崩れていくことになる。
アレほど神の知恵と富を手に入れたソロモンがである。
時が経つに連れて、栄華を極めたソロモンでさえ、その輝きは失われ、すべての人と同じ道をたどっていくということなのだろうか。
そして、ソロモンが衰えていく一方、ダビデの時代にエジプトへ逃れていたハダドが富と力を蓄えていき、ソロモンを脅かす存在になろうとしていた。

全ては時の移ろいと共に変わっていく。
永遠に変わらぬものなどこの世には存在しない。
だからこそ、私たちは「常に」神に聞き従っていかなければならないのだ。
今までに聞いたから、それで十分蓄えができた、などというような性質のものではない。
若いときは若い者なりに、年老いれば年老いた者なりに主の御声に聞き従っていかねばならない。

自分が衰えていること、確実に時が流れていること、その時にかなった御声があること、全てを受け入れて、今日、主の御声に聞き従っていこうではないか。