列王記上9章1~28節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記上9:1 ソロモンが主の神殿と王宮の建築を終え、造ろうと望んでいたものすべてについての念願を果たしたとき、
9:2 主はかつてギブオンで現れたように、再びソロモンに現れ、
9:3 こう仰せになった。「わたしはあなたがわたしに憐れみを乞い、祈り求めるのを聞いた。わたしはあなたが建てたこの神殿を聖別し、そこにわたしの名をとこしえに置く。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。
9:4 もしあなたが、父ダビデが歩んだように、無垢な心で正しくわたしの前を歩み、わたしがあなたに命じたことをことごとく行い、掟と法を守るなら、
9:5 あなたの父ダビデに、『イスラエルの王座につく者が断たれることはない』と約束したとおり、わたしはイスラエルを支配するあなたの王座をとこしえに存続させる。
9:6 もしあなたたちとその子孫がわたしに背を向けて離れ去り、わたしが授けた戒めと掟を守らず、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、
9:7 わたしは与えた土地からイスラエルを断ち、わたしの名のために聖別した神殿もわたしの前から捨て去る。こうしてイスラエルは諸国民の中で物笑いと嘲りの的となる。
9:8 この神殿は廃虚となり、そのそばを通る人は皆、驚いて口笛を鳴らし、『この地とこの神殿に、主はなぜこのような仕打ちをされたのか』と問うであろう。
9:9 そのとき人々は、『それは彼らが自分たちの先祖をエジプトの地から導き出した神、主を捨て、他の神々に付き従い、これにひれ伏し、仕えたからだ。それゆえ、主は彼らの上にこのすべての災いをもたらされたのだ』と答えるであろう。」
9:10 ソロモンは、二十年を費やして二つの建物、主の神殿と王の宮殿を建て終わったとき、
9:11 ティルスの王ヒラムがソロモンの望みどおりにレバノン杉と糸杉の材木や金を提供してくれたので、ソロモンはヒラムにガリラヤ地方の二十の町を贈った。
9:12 ヒラムはソロモンから贈られた町々を視察するためティルスから出て来た。しかし、この町々は彼の気に入らなかったので、
9:13 ヒラムは、「わたしの兄弟よ、あなたがくださったこの町々は一体何ですか」と言った。そのため、この町々は「カブルの地(値打ちのない地)」と呼ばれ、今日に至っている。
9:14 ヒラムは王に金百二十キカルを贈っていた。
9:15 ソロモン王が主の神殿、王宮、ミロ、エルサレムの城壁、ハツォル、メギド、ゲゼルを築くために課した労役についての事情はこうであった。
9:16 エジプトの王ファラオが攻め上って来てゲゼルを占領し、火を放って焼き払い、その町に住んでいたカナン人を殺し、ソロモンの妃となった自分の娘にそれを贈り物として与えた。
9:17 ソロモンはゲゼル、下ベト・ホロン、
9:18 バアラト、この地の荒れ野にあるタドモル、
9:19 ソロモンに属する補給基地の町、戦車隊の町、騎兵隊の町を築いた。ソロモンはエルサレム、レバノン、および彼の支配下にある全地域に、築こうと望んだ町を築き上げた。
9:20 イスラエル人ではない者、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民のすべて、
9:21 彼らの後、この地に生き残った子孫で、イスラエル人が滅ぼし尽くすことのできなかった者を、ソロモンは奴隷として労役に服させ、今日に至っている。
9:22 しかしソロモンは、イスラエル人を一人も奴隷としなかった。彼らは戦士、王の家臣、将軍、精鋭、戦車隊と騎兵隊の長であった。
9:23 ソロモンの工事に配置された監督は五百五十名で、工事に従事する人々の指揮をとった。
9:24 ファラオの娘が、ダビデの町から彼女のために建てられた宮殿に移って間もないころ、ソロモンはミロを建てた。
9:25 ソロモンは、主のために築いた祭壇に年に三度、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、主の御前で香をたいた。こうして彼は神殿を完成した。
9:26 ソロモン王はまたエツヨン・ゲベルで船団を編成した。そこはエドムの地の葦の海の海岸にあるエイラトの近くにあった。
9:27 ヒラムは船団を組み、自分の家臣で航海の心得のある船員たちを送り、ソロモンの家臣たちに合流させた。
9:28 彼らはオフィルに行き、金四百二十キカルを手に入れ、ソロモン王のもとにもたらした。

主なる神様は、ソロモンに対し「もしあなたが、父ダビデが歩んだように、無垢な心で正しくわたしの前を歩み、わたしがあなたに命じたことをことごとく行い、掟と法を守るなら、あなたの父ダビデに、『イスラエルの王座につく者が断たれることはない』と約束したとおり、わたしはイスラエルを支配するあなたの王座をとこしえに存続させる。」と語られ、同時に「もしあなたたちとその子孫がわたしに背を向けて離れ去り、わたしが授けた戒めと掟を守らず、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、わたしは与えた土地からイスラエルを断ち、わたしの名のために聖別した神殿もわたしの前から捨て去る。」と仰せられている。
当然、ソロモンはこの言葉を心に留め、主なる神様が喜ばれることを第一として、神に真実を尽くして仕えつつ、イスラエルの民を治めようとしたにちがいない。
けれど、現実の世界はそう甘くはなく、常に周辺の国々との軋轢の中で、緊張の続く国政の運営が求められていたのである。
真の神を礼拝しない民との争いなど、時間と労力を費やせば費やすほど、次第に心が神から遠ざかっていくようなこともあったのであろう。
やがて、ソロモンの子らの世代になると、もはやそのような神を中心とした国家の運営は果たされなくなっていったのであろう。

私たちもこの世にあって、真心をもって神を礼拝し、神を中心とした生活を送りたいと願う。
しかし、日々の現実の暮らしの中に身をおいて、神を全く信じない人たちとの付き合いの中で心が疲弊していってしまうこともある。
でも、それで心が神から離れていってしまえば、主なる神様がソロモンに仰せられたとおり、神様から与えられた祝福を取り去られ、主なる神様の御前から見捨てられることにもなりかねない。
そうならないために、私たちは日々、主なる神様の御言葉に耳を傾け、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主なる神様を愛し、従って行くことを選び取っていかなければならない。
しかし、果たしてそれが私にできるのか。

ルカ18:26 これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、
18:27 イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。

私たちが神の御言葉を聞こうと思うのも、神が私に働いておられるからである。
私たちが神様に聞き従おうとするのも、神が私を招き、導こうとしておられるからである。
すべての聖い心と信仰とは、神が私たちに与えてくださったものである。
そう信じて、「主よ、ますます大胆に私を通して働いて下さい」と祈り求めていきたいものである。