ヨハネ8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
8:13 それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」
8:14 イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。
8:15 あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。
8:16 しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。
8:17 あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。
8:18 わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」
8:19 彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」
8:20 イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。
私たちは、他人の言葉をどれだけ真実として受け止めることができるだろうか。
たとえば、人の噂話など、あたかも本当のように嘘を話す人もいる。
そんな噂話に耳を傾けていると、すっかり信じ込んでしまう。
逆に、本当の話なのに、ありえないと思うと、それがどれだけ本当のことを話されても受け入れようとしない。
私たちの側に、勝手に、それが真実であるか偽りであるかというフィルターがかけられ、そして、話す人が信頼できるかどうかということも加味しながら判断してしまうのだろう。
イエス様はどうか。
イエス様をお遣わしになった方は、真実な神である。
だから、イエス様の語られることは全て真実である。
問題は、そのイエス様が果たして本当に真実なる神が遣わされたお方かどうかということを我々が信じるかどうかである。
堂々巡りのようになってしまうが、イエス様の語られた言葉を思い起こす。
ヨハネ10:37 もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。
10:38 しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」
イエス様は数々の奇跡を行われた。
そして、十字架にかけられて、ご自信の命を投げ出して、私たちの救いを成し遂げられた。
この業を見るとき、イエス様の真実に気がつくことだろう。
父なる神が、最愛の一人子なるイエス様をこの世に送られた事実に、神の深いご愛を垣間見ることができるのである。