ガラテヤ6章11~18節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ガラテヤ6:11 このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。
6:12 肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。
6:13 割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。
6:14 しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。
6:15 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。
6:16 このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。
6:17 これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。
6:18 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。

神学校を卒業する時、申請すればMdivという学位を資格することができると言うことで、周囲からも勧めがあった。
しかし、その学位を取得するのに、数十万円必要であるという。
妻が「ないと困るの?」と聞くので「困らない」と応え、申請はしなかった。

それがなければ何か問題あるというわけではない。
むしろ、何も変わりなく働きはできる。

今年、神学校を卒業して14年。
その間、学位がなくて問題になったことは一度もない。
おそらく、これからもそうであろう。

見栄を張るためだけに学位を取るなら、やめたほうが良い。
もちろん、本当に必要な人は取ってもらったら良いと思う。
でも、キリストによる救いを宣べ伝えていくのに本当に必要なものは、学位ではない。
キリストの焼印を身に帯びた、信仰者の証しである。
だから、私は、私のために十字架で死なれた主イエス・キリストの救いのみ業を誇りとし、キリストによって救われている事実のみを誇りとしたい。