エゼキエル3章16~21節、ローマ10章10~18節、ヨハネ1章35~42節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ローマ10:10 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
10:11 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
10:12 ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
10:13 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
10:14 ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。
10:15 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。
10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。
10:17 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
10:18 それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。

本日の日課のエゼキエル書の箇所には、悪人の犯した罪の責任は、その悪人自身が負う事は当然として、その人に神の御言葉を宣べ伝える責任は我々信仰者一人一人に託された使命であることが語られ、御言葉を宣べ伝えた人が悔い改めたかどうかに関わらず、宣べ伝えたかどうかが重要であるということが語られている。
つまり「時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい」ということなのだろう。

ローマ書の言葉にもあるとおり、主の御言葉を宣べ伝える者を「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と主が仰せられる。
主に喜ばれる者になろう。
そのために、主の御言葉を恐れることなく、臆することなく宣べ伝えよう。