マタイ23章37節~24章2節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ23:37 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
23:38 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。
23:39 言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」
24:1 イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。
24:2 そこで、イエスは言われた。「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

ここ数年、バイブルキャンプを利用されるお客様の傾向がはっきりとしている。
ずばり、ベツレヘムロッジばかりが好まれる。
本館だって素敵な建物だし、別館もチャペルがあるし、ついでながら、卓球もできる。
ファームロッジも家族で利用するにはとても使い勝手が良い。
なのに、新しい建物で綺麗だからという理由で、ベツレヘムロッジばかりが人気が高い。

一人で静かに過ごすのならベツレヘムロッジも良い環境だと思うけど、親しい仲間や家族と一緒に心温まる時を過ごそうと思うなら、建物が新しいか綺麗かどうかは、本来、それほど大きな関係はないはずである。
少々古くても、そこを大切に思う心さえあればいいこと。


ちなみに、私は建物を新しくすることにあまり関心がない。
それより、今あるものを大切にし、それをどう活用していくか、そこでどんな楽しいプログラムができるか考える方が楽しい。

もし教会が、建物を新しくすることだけに心を奪われ、そこで何がしたいのかということがおろそかになっていたとしたら、なんとも皮肉な話である。
ある人が「新会堂が伝道する」という趣旨のことを言っていたことがあるが、新会堂目当てに教会に来るようになった人に、「多額の返済があるから、一緒に支払え」と言えば、その人は来なくなるだろう。
あるいは、会堂建築の費用を捻出するため、牧師を招聘することができないというようなことにでもなれば、そんな教会はどこかがおかしいと思う。

建物は、いつか崩される日が来る。
しかし、主の言葉は永遠。
キリストの教会とは、そのような信仰者の結び合わされた、霊的な建物である、と私は思う。