マタイ23章1~22節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ23:1 それから、イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。
23:2 「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。
23:3 だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。
23:4 彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。
23:5 そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。
23:6 宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、
23:7 また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。
23:8 だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。
23:9 また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。
23:10 『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。
23:11 あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。
23:12 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。
23:13 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。
23:14 *学者とファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。だからあなたたちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。
23:15 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。
23:16 ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。あなたたちは、『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。
23:17 愚かで、ものの見えない者たち、黄金と、黄金を清める神殿と、どちらが尊いか。
23:18 また、『祭壇にかけて誓えば、その誓いは無効である。その上の供え物にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。
23:19 ものの見えない者たち、供え物と、供え物を清くする祭壇と、どちらが尊いか。
23:20 祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上のすべてのものにかけて誓うのだ。
23:21 神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのだ。
23:22 天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ。

バイブルキャンプの働きに遣わされてから「~さん」と呼ばれることが多くなった。
もちろん、私のことを知っている人は、きちんと「先生」と呼んで下さる。
でも、私も罪深い人間だから、いったん「先生」と呼ばれていたのに慣れてしまうと、時々「~さん」と呼ばれることに抵抗を感じてしまうものである。
罪深い者である。

牧師とは何物か。
言うだけで実行せず、自分では背負いきれない重荷を人の肩に載せ、自分ではそれを動かすために指一本貸そうとせず、聖句の入った小箱を大きくし、長い衣を着、宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、「先生」と呼ばれることを好む。
そんな者が牧師であってはなるまい。
イエス様は「だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない」と仰せられている。
ならば、「~さん」と呼ばれることは光栄なことではないのか。

罪深い自分がいる。
牧師とは、まず、その罪深い自分との戦いを制していかなければならない。

今、そのためにここにいるのかもしれない。

献身を決心した当時、私は何を思っていただろうか。
神殿に捧げられる黄金に誓ったのではなく、祭壇に捧げられる供え物に誓ったのでもない。
天地を創られた主に誓ったのだ。

そのことを覚え、今日与えられた務めをまっとうできるように心がけたいものである。