マタイ11:20 それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。
11:21 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。
11:22 しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。
11:23 また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。
11:24 しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」
イエス様は悔い改めない町の人たちのために、厳しい言葉を述べている。
しかし、それは、単なる裁きの言葉が述べられているというわけではない。
むしろ、憐れみと嘆きに満ちた言葉であると言えるのではないだろうか。
イエス様の目に、救われなくてもよい魂などというものはない。
一人の魂さえも滅んで欲しくない。
そういう気持ちのこもった嘆きの言葉なのかもしれない。
イエス様を信じないまま、不幸な人生を歩み続けず、イエス様を信じて幸いな人生を歩むことができるように願う。