創世記11章1~9節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
11:2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
11:3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
11:4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
11:6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
11:7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
11:9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

人が集まり、英知を結集させることで、技術を高めていくことは、決して悪いことではない。
しかし、その結果、人類が高慢になり、謙遜さを忘れてしまうことは危険である。

このたびの震災による原子力発電所の津波による事故は、甚大な被害をもたらし、今も尚、人々を不安の中に陥れたままだ。
しかし「東電が悪い」「首相が悪い」と、多くの人たちが批判の矛先を彼らに向けようとしているが、電気を使っているのは、我々国民一人一人であり、彼らに言わせれば「あなたがたが必要だと言うから、電気を作り、供給してきたのではないか」と言いたくもなろう。

責任は、一部の人間だけのものではない。
社長が土下座して済むものでもない。
一人一人が今まで浪費してきた結果である。

電気のない生活は無理でも、電気をなるべく使わないで済む生活の仕方もあるはすだ。
現代の贅沢な生活スタイルを一から見直し、人が生きる本当の意味を見つめ直す良い機会ではないだろうか。