イザヤ52:7 いかに美しいことか山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え救いを告げあなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。
52:8 その声に、あなたの見張りは声をあげ皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る主がシオンに帰られるのを。
52:9 歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。
52:10 主は聖なる御腕の力を国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ。
イザヤの預言の中に「いかに美しいことか山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。」との言葉がある。
言葉で言い表すと、主の御言葉を宣べ伝える人は、なんと麗しいことかということだけに注目されがちではあるが、そこには「山々を」という言葉が記されている。
山々を行き巡るということは、それはそれは大きな困難が付きまとうものである。
蒜山三座を縦走された方が、山を降りてきて「これは縦走ではなく、三つ、山を登ったという感じ」と言っておられたことがある。
確かにその通りで、蒜山縦走とは名ばかりで、一つ登って降りて、また登って降りて、もう一つ登って降りる、全く別々の登山を一度に行うようなものだ。
しかし、伝道とは、そのように、一筋縄ではいかないあことばかりである。
場合によっては、一つ登ってわざわざ降りて、また登っていかなければならないこともある。
しかも、その先、再び上り下りすることがわかっていながら、降りていくのだ。
しかし、それをつぶやかずに従って行くときに、主はその足を「いかに美しいことか」と言って下さるのである。
もうすぐゴールデンウィーク。
お天気がよければ、三つ登って三つ降りる、蒜山三座縦走に出かけてみるのもいいかもしれない。
そうすれば、本当の意味での伝道の困難さ、もとい、素晴らしさが見えてくることだろう。