2コリント1:23 神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。
1:24 わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。
2:1 そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました。
2:2 もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、わたしを喜ばせてくれるでしょう。
2:3 あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。
2:4 わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。
パウロは、コリントの教会のクリスチャンたちが、自らの判断で神の御心に適う歩みを続けていくよう願っていたのであろう。
直接行って、手取り足取り指導することもできたのであろうが、あえてそれをせず、遠くから見守る形で、彼らの成長を願ったと思われる。
人を育てることも、時に時間はかかっても、信頼し、ゆだね、暖かく見守り続けていくことが大切なのかもしれない。
そもそも、神ご自身が、私たちをそのような目でみておられるに違いない。
愛しておられるからこそ、忍耐し続けてられるし、時満ちて、成長していくことを期待しているのである。
2ペテロ3:8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。