ローマ15:14 兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。
15:15 記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、
15:16 異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。
15:17 そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。
15:18 キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、
15:19 また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。
15:20 このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。
15:21 「彼のことを告げられていなかった人々が見、聞かなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりです。
教会の働きとは、福音を宣べ伝えることである。
福音を宣べ伝えるとは、イエス・キリストの十字架の贖いと復活の故に、信じるだけで救いにあずかれるという恵みの約束をお伝えすることである。
しかしそれは、キリストを頭とする教会の働きであり、全ては聖なる神の霊の導きによってなされる「神の業」である。
だから、そこに「この働きは、私たちの力によるものだ」というような人間の側に誇るべき要素などないのだ。
全ては神のご意思による。
その働きに、私たち一人一人が召されている。
働きや奉仕の仕方は個々違っても、同じ主、同じ神の導きによって宣教の働きは導かれている。
そのことを覚え、今日私にできる精一杯の奉仕を全うさせて頂きたいと願う。