雅歌6章1~12節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

雅歌6:1 あなたの恋人はどこに行ってしまったの。だれにもまして美しいおとめよあなたの恋人はどこに行ってしまったの。一緒に探してあげましょう。
6:2 わたしの恋しい人は園に香り草の花床に下りて行きました。園で群れを飼い、ゆりの花を手折っています。
6:3 恋しいあの人はわたしのものわたしは恋しいあの人のものゆりの中で群れを飼っているあの人のもの。
6:4 恋人よ、あなたはティルツァのように美しくエルサレムのように麗しく旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。
6:5 わたしを混乱させるその目をわたしからそらせておくれ。あなたの髪はギレアドを駆け下る山羊の群れ。
6:6 歯は雌羊の群れ。毛を刈られ洗い場から上って来る雌羊の群れ。対になってそろい、連れあいを失ったものはない。
6:7 ベールの陰のこめかみはざくろの花。
6:8 王妃が六十人、側女が八十人若い娘の数は知れないが
6:9 わたしの鳩、清らかなおとめはひとり。その母のただひとりの娘産みの親のかけがえのない娘。彼女を見ておとめたちは祝福し王妃も側女も彼女をたたえる。
6:10 曙のように姿を現すおとめは誰か。満月のように美しく、太陽のように輝き旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。
6:11 わたしはくるみの園に下りて行きました。流れのほとりの緑の茂みにぶどうの花は咲いたかざくろのつぼみは開いたか、見ようとして。
6:12 知らぬ間にわたしはアミナディブの車に乗せられていました。

花嫁と花婿は、互いに惹きつけあいながらも、なかなか一緒にいることができないでいる。
そんな時、お互い、会うことのできないもどかしさを覚えながらではあるが、その心、ますます互いに惹きつけあい、求め合うようになっている。
このような関係にある時は、目の前にいるときよりも、さらに強く求め合うのかもしれない。

神は目には見えないお方である。
一日も早く、お会いしたいという気もある。
一方で、それは、この世の生の終わりを求めることになるのかもしれないし、むしろ、期待しながら、ますますその心を強くさせていくことで、この世の生をまっとうすることが大切なのかもしれない。
神さまにお会いする日は、必ずやってくる。
会えるかどうかもわからないようなものではない。
必ずお会いできるのだから、今すぐあせる必要はない。
その時を楽しみに待ち望むことで、希望のある人生を歩み続けたいものだ。