エフェソ2:1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。
2:2 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
2:3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
2:4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、
2:5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――
2:6 キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。
2:7 こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。
2:8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
2:9 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。
2:10 なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
この箇所には、私たちがかつてどのような生き方をし、どのような仕方で救われ、どのような生き方へと変えられていくのかということが極めて明確に語られていると言える。
それゆえ、この箇所は、人が主イエス・キリストを信じ、神の子とせられるようになるために、非常に重要な御言葉であると言えるだろう。
実際、私自身、この箇所を読んで、自分がクリスチャンとなったことの意味が良くわかった。
かつて、神に敵対し、神を悲しませていたであろう自分が、神の豊かな憐れみの故に、御子キリストの尊い贖いの代価によって救われた事、それは、自分自身の努力や行いによるのではなく、ただただ、一方的な神の恵みによるのであるということを知り、どんなに幸いで、感謝すべきことかということを知ることができたのである。
だから、この箇所は、もっともっと多くの人に知ってほしい御言葉である。
何度でも、この御言葉を語っていきたいものである。