コヘレト3:12 わたしは知った人間にとって最も幸福なのは喜び楽しんで一生を送ることだ、と
3:13 人だれもが飲み食いしその労苦によって満足するのは神の賜物だ、と。
3:14 わたしは知ったすべて神の業は永遠に不変であり付け加えることも除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
3:15 今あることは既にあったことこれからあることも既にあったこと。追いやられたものを、神は尋ね求められる。
3:16 太陽の下、更にわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるのを。
3:17 わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。
人の営みは、どんなに豊かであっても、どんなに貧しくあっても、食べて、寝て、働いて、休むといった基本的なことは同じであろう。
その営み自体を喜び楽しむことができるなら、人は本当に幸いな人生を送ることができる。
仮に貧しくても、そこに人生の喜びや楽しさを見出すならば、どんな豊かそうに見える生活も、単なる心の貧しさの裏返しであることに気がつくはずである。
多額の裏金などを用いて土地を購入したり、偽りの会計報告などをしているニュースを聞くたびに、この国の指導者たちは、いかにも心の貧しい人たちばかりなのだということを思わされる。
蒜山に来て「何もないのが良い」という言葉を耳にしたとき、本当にそうだと思った。
ここにはショッピングセンターも便利なコンビニもないし、ゲームセンターやパチンコ店などもない。
代わりに、おいしい水や空気があり、美しい景色が私たちの心を魅了してくれる。
これこそ、神の御業。
そんな環境に生きる事のできる幸いを喜び、楽しんでいる。