1ペトロ5:1 さて、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。
5:2 あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。
5:3 ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。
5:4 そうすれば、大牧者がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。
5:5 同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。
5:6 だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。
5:7 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
信徒の群れを養うのは、牧会者の責任である。
しかし、それは、強制されてするものではなく、神に従う中で、自発的な奉仕としてなすべきものであるということが語られている。
このことは、牧する側にとっても、牧される側にとっても重要なことではないだろうか。
といのも、牧会者が信徒を牧するのは当たり前ではないからなのだ。
主イエス様が私たちのために自らの命を犠牲にして下さったことのように、本来ありえない、ありがたいことなのではないだろうか。
もちろん、自分がそういう働きに召されているから、恩着せがましく言うのではない。
むしろ、こんな者を牧会の働きに召してくださっていること自体が奇跡であり、神様のなさる御業なのだといことを思わされる。
ただ、御言葉だから、私は従う。
互いに仕えあうことを考えた場合、牧会者も信者も違いはないはず。
謙遜で、主の御言葉に忠実であり続けることが大切なのだ。