主なる神様は、心をかたくなにし、イスラエルの地に留まろうとする者を悪いいちじくのように見なし、逆に、バビロンに捕らえ移された者たちをよいいちじくのように見なしている。
その違いは、何に信頼を置いているかによって異なっているのだろう。
あくまで現状の生活を維持することを死守するのか、それとも、神が導かれるままに身を委ね、み心に従い続けていくかどうか。
何を大事にしているか、何を見ているかということが問われているのだろう。
「エレミヤよ、何が見えるか」
これは、私に対する主なる神様の呼び掛けでもある。