ガラテヤ6:11 このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。
6:12 肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。
6:13 割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。
6:14 しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。
6:15 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。
6:16 このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。
6:17 これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。
6:18 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。
私の学んだ神学校では、M-DIVという神学者の資格を受ける事ができます。
神学校卒業を間近に控えていた頃、妻が「そんな資格を取って、一体なんの役に立つのか。えらそうにしたり、誇りたいがために取るくらいなら、無いほうがマシだ」と言い、確かにその通りだと思いました。
誰かに神学を教えるわけではないし、資格が無くても宣教することはできるのです。
それこそ「大袈裟」なことなのかもしれません。
もちろん、M-DIVが全く無意味なことであるというのではありません。
必要があれば取得すればいいと思います。
しかし、私のような生きかたに果たして本当に必要であるかよく吟味し、キリストの十字架以外に誇るものがないようにするために、あえて不要なものは持たない、そんな生きかたを続けていければと思います。
パウロの時代にはM-DIVなどというものは無かったのですから。