エレミヤ17:1 ユダの罪は心の板に、祭壇の角に鉄のペンで書きつけられダイヤモンドのたがねで刻み込まれて
17:2 子孫に銘記させるものとなる。それらは彼らの祭壇であり、アシェラ像である。それらは、どの緑の木の下にも高い丘、野の山の上にもある。
17:3 野から山に登る者よ。わたしはお前の富と宝をお前の聖なる高台での罪のゆえに至るところで、敵が奪うにまかせる。
17:4 わたしが継がせた嗣業をお前は失う。また、お前を敵の奴隷としお前の知らない国に行かせる。わたしの怒りによって火が点じられとこしえに燃え続ける。
主なる神様は、ユダの犯してきた罪が、偶像礼拝の罪であるということを明確に告げている。
そしてそのような偶像礼拝は、野にも山にも、至る所に起こりうるものであるとも語られている。
なぜなら、人は、そこに富や宝を手に入れる術を見出すからである。
そう、この世の富も宝もみな、それらすべての物は、神様が創られた自然の中にあり、人はそこからますます豊かになろうとして、行き過ぎた欲望を追い求めるようになり、ありもしない偶像の神々を作り上げ、礼拝し始めるのだろう。
そう考えていくと、このような地上の富を失うことは、かえって、本当の神様に目を向ける事ができるという意味で、幸いなことなのかもしれない。
富も宝もまた、偶像となりうる。
現代の文明化された世界の中で生き ていくとき、心しておきたい事ではないだろうか。