マラキ3章1~4節、使徒13章13~26節、ルカ1章57~80節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ルカ1:57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。
1:58 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。
1:59 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。
1:60 ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。
1:61 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、
1:62 父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。
1:63 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。
1:64 すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。
1:65 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。
1:66 聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。
1:67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
1:68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、
1:69 我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。
1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。
1:71 それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。
1:72 主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。
1:73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、
1:74 敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、
1:75 生涯、主の御前に清く正しく。
1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、
1:77 主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。
1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」
1:80 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。

祭司ザカリヤは、自分の子供として生まれたヨハネについて、救い主に先立って生まれ、その道を整えるための働きをする預言者となるであろうと述べている。
その言葉もまた、預言の言葉であり、そういう意味で、ザカリヤもまた、預言者であったと言える。
そして、ヨハネは、イエス様の到来を告げる最後の預言者として、その生涯を送っている。
使徒13章のパウロの言葉を見ると、聖書の歴史が概観されて述べられているが、新約聖書の時代の出来事は、このヨハネの活動だけが述べられており、あたかも旧約聖書の人物の一人でもあるかのように語られているが、彼こそ、旧約と新約とを取り持つ重要な役割を果たした預言者であるということであろう。
そういう意味で、ヨハネという人物は、非常に重要な預言者の一人であるということが言える。
それゆえ、ヨハネの述べた言葉にしっかりと心を留めなければならない。

マルコ1:3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、
1:4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
1:5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
1:6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
1:7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
1:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

主の通られる道、それは、己の罪を悔い改め、そのために主イエス様が十字架で死なれたということを受け入れる事に他ならない。
私は罪人。
イエス・キリストの贖いの故に救われたことを感謝します。