エレミヤ8章4~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ8:4 彼らに言いなさい。主はこう言われる。倒れて、起き上がらない者があろうか。離れて、立ち帰らない者があろうか。
8:5 どうして、この民エルサレムは背く者となりいつまでも背いているのか。偽りに固執して立ち帰ることを拒む。
8:6 耳を傾けて聞いてみたが正直に語ろうとしない。自分の悪を悔いる者もなくわたしは何ということをしたのかと言う者もない。馬が戦場に突進するようにそれぞれ自分の道を去って行く。
8:7 空を飛ぶこうのとりもその季節を知っている。山鳩もつばめも鶴も、渡るときを守る。しかし、わが民は主の定めを知ろうとしない。
8:8 どうしてお前たちは言えようか。「我々は賢者といわれる者で主の律法を持っている」と。まことに見よ、書記が偽る筆をもって書きそれを偽りとした。
8:9 賢者は恥を受け、打ちのめされ、捕らえられる。見よ、主の言葉を侮っていながらどんな知恵を持っているというのか。
8:10 それゆえ、わたしは彼らの妻を他人に渡し彼らの畑を征服する者に渡す。身分の低い者から高い者に至るまで皆、利をむさぼり預言者から祭司に至るまで皆、欺く。
8:11 彼らは、おとめなるわが民の破滅を手軽に治療して平和がないのに「平和、平和」と言う。
8:12 彼らは忌むべきことをして恥をさらした。しかも、恥ずかしいとは思わず嘲られていることに気づかない。それゆえ、人々が倒れるとき、彼らも倒れ彼らが罰せられるとき、彼らはつまずくと主は言われる。
8:13 わたしは彼らを集めようとしたがと主は言われる。ぶどうの木にぶどうはなくいちじくの木にいちじくはない。葉はしおれ、わたしが与えたものは彼らから失われていた。

エレミヤが預言者として活動していた頃のイスラエルの状態は、まるで日本の状態を言い表しているように思えてならない。
神を信じることを頑なに拒み、どこにも真の平安などないはずなのに、いつまでも右肩上がりに国が発展し、社会が発展していくであろう幻想を追い求め続け、偽りの「平安」に希望を抱きながら、その実態は、破滅へとひたすらに向かい続けている。
そして、誰もが利をむさぼり、それを恥ずかしいとは思わない。
そこに一体、どんな豊かな実りがあると言えるのだろうか。
豊かさとは一体、何をもって真のものと言えるのだろうか。

神から離れ、神を無きものとする生き方を止め、神のもとに立ち返るとき、私たちは全てのものを持っている。
そこに本当の豊かさがある。

信じるか信じないかは個々の問題として、聖書は少なくともそのように語っている、と私は思う。